「ファンスタスティック・プラネット」というアニメ映画を観て、良かったので記録。ああ面白かった。
ファンスタスティック・プラネット
宇宙のどこかにある惑星イガム。ここでは巨大な人類・ドラーグ族が文明社会を支配し、小さな人類・オム族は原始的な生活を強いられ、ある者は虫ケラのように扱われ、ある者はペットのように飼育されていた。ドラーグ族の議会では、オム族の知性に脅威を感じており、オム族絶滅を主張する強硬派とオム族との共存を図る穏健派が対立していた。
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何しろ、不思議な世界で。価値観や雰囲気、全てが妙でハマる。
猛烈に「ヘン」なのに、まるで難解ではない。
人間の立ち位置を再確認させられる問題作、という言い方も出来る。したくないけど。
人間をペットにして虫けらのように扱うドラーグ族。色々な思惑。
だが、この物語における人間は、「人間らしかった」ので問題になっていく。
人間の知性を温存するか?
ドラーグ族の間では、人間の「知性」が驚異となっていく。それほど気にする必要はないよ、という考え方と、小さくても、知性はとても怖い。だから、絶滅させた方がいい、という、「星を知性生物が奪い合う構図」が必然で怖いし興味深い。
つまり、先にこの星で文明を築いたのは我々(ドラーグ族)なのだから、人間なんか、後から知性を伴ったヤツなんて、デカイつらさせないぜ! てなかんじ。
時の流れの早さの問題
だが、問題がある。時の流れが違う。人間は、猛スピードで文明を築きそうな勢いだとしたら、ドラーグ族は「慌てる必要がある」し、逆なら、慌てる必要はない。
人間は、果たして、どういう運命をたどるのか?
あえて、稚拙なアニメーション動作。動きをあえてたどたどしくすることで、不安定な精神状態にさせてくれる。
楳図かずおの「漂流教室」とかの登場人物の走る姿がコミカルな変な動きなのに、怖いでしょ。あんな感じ。動きもそれに近い。
かといって、諸星大二郎のようにおどろおどろしさはなく、ファンタジック。なのに、愛嬌がある異星人。ドラーグ族。
宮崎駿に影響を与えた作品
これは、1973年の作品。宮崎駿に影響を与えたらしい。「風の谷のナウシカ」は、この作品の中に出てくる巨人生物の描写などが色濃く反映。
宮崎は、本作を鑑賞した際「ヒエロニムス・ボッシュの絵みたいな」「美しくもおぞましい」キリスト教ベースの美術に辟易しつつも「面白い」と思い、翻って風土を念頭におかない作品を描く通俗的な日本のアニメの現状を、「美術が不在」と言う表現で反省している。
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