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動物性愛????は獣姦????と大きく異なる~「聖なるズー」【前編】

濱野ちひろ『聖なるズー』は去年に読んだ「動物性愛」について徹底的に調べた突撃ルポ。猛烈に面白い。

第17回 開高健ノンフィクション賞受賞作

本作は濱野さんがドイツで出会ったズー(動物性愛者)たちを通して、セクシュアリティの多様なあり方について迫ったもの。ズーたちは、共に暮らす犬や馬をパートナーとして、時に性行為にも及ぶ。「動物とセックスをする」というと、ともすればスキャンダラスにとらえられがちだが、本書を読み終わると、そうした思いは見事に払拭されていることに気づく。選考委員の藤沢周氏がいうように、「この作品は『セックス』のみの問題ではない。それを超えて世界のひだの多様さ、可能性を提示した物語でもあるのだ」。

青春と読書(集英社)

これまた嗅覚としては読まいでかっ!と思う本。例えば、人気エスニックで「仙草ゼリー」がメニューにあり「おすすめ」と書いてあったとする。漢方の苦みとゼリーの甘みで不思議なデザートに!と惹句があれば、

うげげげー、まずそーっ!

と思って頼まない人もいるだろう。でも、僕は必ず頼む。なぜなら、人気エスニックで「そのメニューがある」って事は「本当においしい」って事よ。大根餅とか、女子ウケ狙ってメニューに並べてるプライドのないエスニック店ではないわけだからさ。

つまり少し考えれば「それがおいしい」のは明白で。

同様に、この「動物性愛」の本ってだけで

うげげーっ、きもちわりー!

と思う人は、この本を読む事にはならないだろう。残念な事ですな。知らない世界に引っ張ってってくれるのが書籍であるのに、あえて、視野を広げようとしない、つまり人生を損してる人としか僕は思えず(そこまで言うか)。

なので、これまた読んでみたけど、やはり期待通りの面白さだった。興味深い。
僕は、ゲイでもバイでもないけど映画「ブローバック・マウンテン」は猛烈に感動したし、大好きな映画だ。ラストカットのカッコ良さたるや!

ただの恋愛映画じゃねーし

ブロークバック・マウンテン (字幕版)

先入観こそ、見聞を狭める(そんな言葉ない)ものはない。

読んで面白かったので、いくつか引用するね。一太郎padが便利なアプリで一太郎をバージョンアップした直後に読んだので、頻繁に使ってたので結構データがある。

ズーヘテロ

自然に始まるセックス。

ズーのなかにも、いろいろな違いがある。ミヒャエルは動物にしか性的欲望を抱かないが、私が出会ったズーのなかには人間とも恋愛やセックスをする人もいる。性的対象となる動物の性別にも違いがある。自身が男性で、パートナーの動物がオスの場合をズー・ゲイという。自身が女性で、パートナーがメスの場合はズー・レズビアン。パートナーの性別を問わない場合はズー・バイセクシュアルという。もちろん、自分とは異なる性別の動物を好む、ズー・ヘテロもいる。また、セックスでの立場を示す言葉もあって、受け身の場合はパッシブ・パート、その逆をアクティブ・パートという。

聖なるズー

ズーヘテロ。ズーゲイ。ズー・バイセクシャル。
パッシブパート、アクティブパート。細分化されてる。

「僕はオスの動物を対象とするから、ズー・ゲイ。パッシブ・パートだよ」
そうミヒャエルは言う。つまり彼はオスの動物を好み、セックスでは動物のペニスを自身の肛門に受け入れる方法をとる。自分のペニスを動物に挿入することはない。

猫とは関係を作らない

動物を苦しめないことに誇りを持つゼータの人々にとって、おそらく動物のサイズの問題は大きい。だからこそ、犬のなかでも小型犬をパートナーとする人はひとりもいない。人気なのはジャーマン・シェパードやロットワイラー、ラブラドール・レトリーバー、ドーベルマンなどの大型犬やその雑種だ。

ゼータというのは、動物性愛者のグループの名前で、世界中の動物性愛者で構成される。動物を「愛している」ので「獣姦性癖」の人とは違う。この獣姦する人を(やってることは同じと思うのだが)毛嫌いしているのがゼータだ。「個としてその動物を愛している」。

中には、ズーであることを彼女に告白して、その彼女と三者(正確には二人と一匹)の関係を(さんぴーというのかどうかわからないが)築く人も登場。読んでもなかなか「自分も!」という興味はわかないが、「わかる」事は確実にできる。それは作者が斜めの視点で見ていないという点が強い。もちろんそれがあるからゼータの人たちは濱野さんに協力したのだろうし。

ネズミと暮らす男ザシャ

ザシャは、動物への愛着について調べ始め、動物性愛を知り、ゼータを知った。自分と同じ感覚を共有する仲間がゼータにいると感じたという。
「あなたは、動物とセックスしたことはあるの?」
「ないんだよ。僕が夢見ているのはオスの馬とのセックスだけど、実際はしたことない。あまり知られていないことだと思うけど、ズーと自覚している人のなかには動物とのセックスは未体験の人がとても多いんだよ」
ザシャはねずみへの愛着と、馬への性的欲望を根拠に自分をズーだと思っているようだ。
「動物は僕にとってパーソンだ」
そうザシャは言う。「パーソン」についてのザシャの定義はこうだ。
「パーソンとは、パーソナリティを備えていると認識できる存在のことだね。たとえばねずみたちと一日一緒にいて、よく見ていれば、それぞれがなにをしたいか、なにを望んでいるのかがわかるんだよ。この、なにをしたいかといったことの根底にあるのがパーソナリティ」
ザシャもまた、関係性を通して動物のパーソナリティを見出している。

つまり、愛していれば、性行為に至らない場合もある。(ねずみじゃできない)

white horse near green leaves
馬をパートナーにできる人はある程度の資産家じゃないと。

ザシャの熱弁

「セックスの話題はセンセーショナルだから、みんなズーの話を性行為だけに限って取り上げたがる。だが、ズーの問題の本質は、動物や世界との関係性についての話だ。これはとても難しい問題だよ。世界や動物をどう見るか、という議論だからね。ズーへの批判は、異種への共感という、大切な感覚を批判しているんだよ。誰を愛するか、なにを愛するか。そんなことについて、他人に干渉されるべきじゃない」

ゼータという組織は当然ながら「動物愛護団体」と渡り合ってきた歴史がある。だが、ゼータに言わせれば「家畜」として愛する事は奴隷と同じで、愛していないじゃないか、となる。

パートナーを躾ける?

ハンスをよく知るゼータの友人は、こう話す。
「自分もハンスと同じように、しつけの是非については悩んだことがある。僕のパートナーは犬だから。だが僕は、しつけをすることを選んだ。しつけをしなければ、犬は心地よく人間社会で生きていけない。しつけは犬の安全を守るためなんだけど、本当は叱ったりしたくない。ハンスはクロコと対等でありたいあまり、しつけをきちんとできなかった。その気持ちはわかる。だが結局、クロコはハンスを苦しめているだろう」

「家畜」として向き合わないまでも、では「躾け」はどうなのか? ゼータの大きな問題で、ゼータ内でも意見は分かれる。

犬のセックスと人のセックス

「犬のセックスって、人間と全然違うんだよ。人間はずっと激しく腰を動かすでしょ。でも、犬が腰を動かすのは最初だけなんだ。その後は不思議なくらいじっとして いるんだよ。そのまま動かないで、何度も射精する。犬は背後から僕のお尻の穴に挿入しているんだけど、完全にリラックスして僕の身体にもたれかかっているんだ。僕の頭のすぐ後ろに犬の顔があって、あたたかくて、それはもう素晴らしい感覚としか言いようがない。なんと言ったらいいかな……、そうだな……、神秘的なんだ」
エドヴァルドはゆっくり、ひと言ひと言を繋いだ。
「人間とのセックスと、犬とのセックスだったら、どっちが好き?」
私がそう尋ねると、エドヴァルドはしばし考え込んだ。彼愛用のパイプから、煙がもくもくと吐き出される。
どうしてもどちらかを選べと言われたら、犬。でも、それはセックスの快感が得られるからじゃないよ。快感や面白さで言ったら人間だろう。僕が犬の方が良いというのは関係性が最後まで続くからだよ。人間は裏切るけど、犬は裏切らない。

どうですか? 一部抜粋してるだけを読んでもまだまだ

気持ちわりーっ!

としか思わない人もいるでしょう。きっとそうでしょう。僕も、読まずにこれを見たら、そう感じてしまいそうです。しかし、読めばわかる。

どんなものでも、そっちの側に立って考えてみれば、共感できるものも見えてくるし、言い分も理解できる。そして感情移入してくるので、好意的になる。

だが、作者濱野さんは、そういったことを狙って筆を進めている訳ではない。ひたむきにルポルタージュ。ひたむきにノンフィクション。

次回予告

  • 障害者のズー
  • ズーレズのセックス
  • 犬の性介護

の三本です!(本当はもっとある)

聖なるズー (集英社学芸単行本)

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作成者: 宮川賢

何しろ、インプットを多くしないとアウトプットばかりだと枯渇しちゃうし、ヤバいのでまずは読書を。そのためにソロキャンプや旅行や仕事も頑張らないとなりません。なーむー。