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避難計画が拙い?

女川原発の再稼働の県議会容認について。まだまだ村井県知事は「イエス」と言ったワケではない、としているが、時間の問題だ。徐々に進めることで、「丁寧に」「熟慮」していることを匂わせて、その上での判断ならば致し方ない、と思わせる作戦か?

避難計画が納得できない市民団体

前回のブログで、福島県や関東圏の人間よりも、原発に対しての興味が低い気がすると書いた宮城県の人たちですが、さすがの今回は色々ともの申している。やはり、自分たちに関わる事だと興味が強くなるのだろうか。

福島原発について意見する立場にない、というわきまえなのだろうか。といっても、別に関東圏の人間も「福島県の人たちが良ければいいのだけれどもさ」と思いながら地団駄踏んでるのだけれど。

女川原発の再稼働容認について。市民団体が反対している。要素としては、避難計画がちゃんとできていないじゃないか!という事らしい。

ええと。これからまた勉強していきますけれども、原発再稼働と避難計画、何がどう関係してくるのか判らなかった。だって、原子力発電所そのものが「安全」であると証明されれば(というかだから再稼働なのだろうし)、原発事故は起きないワケだから、原発事故による避難は必要なくね?と。

判る人いたら教えて欲しいのだけれど、僕の理解はこうですがあってますかね。女川原発が再稼働すれば、そこにまた人が集まるし、それにより活況を呈する。駅前に商店街がまたブワッと広がる。女川に活気が戻る。

にも関わらず、また「津波」がくれば、逃げなければならない。その避難計画がちゃんとしていないのだ!と言うことか?

再稼働しなければ、そこに人が集まらないから、閑散としたままの女川であれば、津波が来てもそもそも、そこに人がいないから非難する必要がないから、いいのだ。ということなのかな?

女川町広域避難計画概要

これによれば、3~5日かかるのが非難とされている。そして、原発事故の際の話。

でも、話戻すけど、安全なのだから、大丈夫なのじゃないのかしら? 高さ150メートルの津波が来るかもしれない事を考えたりしていたら、もはや何もできないし。え。そゆことじゃないの?かな?

道がウネウネ

一番は、女川を取り巻く道がウネウネしていて、渋滞が予想されるって話ね。それを考えたら、避難計画は完成度が低いじゃないか!というのが市民団体の言い分。

それについて、村井知事は(TBC東北放送のNスタで)こう語っていた。「計画通りの避難を県民みんながすれば、問題ない」「万が一の時に、計画以外の避難方法をとる人が多く出た場合は……」とかなんとか。

このあたりで、僕は、少し、「劇作家」の自分が頭をもたげた。「市民団体」の人たちは、要はタカリなのではないだろうか? 慰安婦の代弁者の振りをしてお金を着服していたダメダメな人が韓国でいましたが、

大きな事業に「難癖をつけて」「反対すれば」何かしら「だったら、こういうのでどうでしょう?」と、お金をもらえたり、その市民団体の誰かを何かの要職に就かせたりとか色々やってくれる「ゴネ得」があるのではないだろうか?それを狙っているのか?とな。

こう考えると(劇作家風に)話は俄然面白くなりますが、あながち的外れでもないような気もする。

圧倒的な影響力

女川原発が再稼働すれば、つまり、被災地の、しかも震源から一番近い原発が再稼働することは、世界的にもものすごく大きな意義を持つ。影響力は大きい。

例えば、トヨタがラジオCMから撤退するらしいよ、となれば、ラジオ関係者みんなが「うぎゃああああっ!」と慌てたよね。ゼネラルスポンサーが降りれば、同様にホンダ、キリン、サントリー、ドコモ、などなど追従して大企業が引いていく可能性が高い。つまり、ラジオ局が「まだまだラジオは力ありますよー」と強がっていた所で、トヨタが引くということは「ここに広告価値はない」と見限ったようなものだからね。

それと同じ現象で、女川原発が再稼働すれば、他の原発でお休みしているところも「なんだか、うちだけ稼働しないの馬鹿馬鹿しくなってきたなぁ」になるし、やろうよってな事になりそう。しらないけど。

そこに対する責任感はあるのか? という声が村井知事には向けられている。

村井県知事の立場を思えば

村井県知事の立場を考えると、国と県民との板挟みになっている事が見て取れる。なぜなら、国のやり方が目安として第一義にある。その上で、県に何ができるか、どうすべきかが決められるべき。

このようなことはさぞ、中央から言われたんだろうなぁと受け止められる。村井知事はこんな感じですものね。

まず、国が原発はベースロード電源だと定めている。その上で、安全が担保されれば、再稼働はすべきだ。

ただし、あくまで慎重に、「安全」かどうかを見極めなければならないし、そして実際に11月9日の「女川町」の町長と、「石巻市」の市長との意見交換にて、どういう所に決着するか、しないで再度意見交換の場を設けるのか、等による、と。

国の考えをしっかり理解して「国がベースロード電源」とするとしているのだから、それに従わないと、という至極当たり前の(でも犬っぽい)反応です。

勿論、沖縄のように「国がどういう考えだろうが知ったこっちゃねぇぜ」とはワケ違う。

だが、勿論、県民第一、と考えたいのが本音でもある筈。なので、しっかり、市長と町長に反対されたらやめる。と明言している。

女川商工会は賛成している。

市民団体は反対しているのがいくつもあるが、女川商工会は再稼働賛成らしい。

この事で思い出されるのは、辺野古移設に反対しているのは「沖縄県外の人たちばかりだったなぁ」という記憶。

実際に辺野古に行ってみた時の話。他府県名義の垂れ幕などが金網に括り付けられていた。地代をもらえなくなる既得権益がなくなることで怒っている人は勿論沖縄にも反対派としているだろうけど、見た限り、話を聞いている限り「ええと、んーと」という感じだった。

もしかして、それもまた(劇作家的目線で意地悪に穿つとすると)市民団体が反対しているだけで、女川の町の復興を繁栄を、女川と石巻の人たちの生活が少しでも向上することを考えいないで「自分が嫌だから、でも自分は食い扶持はもう確保したから反対なのだ!」というお年寄りばかりが市民団体なのではないだろうか?と映像を見ながら思ったよ。

あくまで劇作家的発想で話を面白くする方向に斜めに見ている、のであしからず。
ちなみに「面白くする方向」というのは「拗れる方向」です。

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作成者: 宮川賢

何しろ、インプットを多くしないとアウトプットばかりだと枯渇しちゃうし、ヤバいのでまずは読書を。そのためにソロキャンプや旅行や仕事も頑張らないとなりません。なーむー。