なるほど。日本人は「変わる事が嫌い」という事らしい。
諸問題の根源
女性の社会進出。そもそもの男女平等。セクシャルマイノリティ。クルド人。色んな事に当てはめて考えてみても感じるのは、日本が大好きなのは「旧態依然」ってヤツで。
それは、保守派って言い方も出来るし、右派という見方もあるやもしれず。
全て、この「変化が苦手」「変わるのが嫌い」に尽きるのかなぁと思うことが最近多い。
フジテレビの女性の役員が3%だった話であったり、この期に及んで「オールナイトフジコ」を新番組で立ち上げていた件も含め。
男が牛耳っていれば、女性が出す企画を「理解出来ない」から「なんとなく弾いてしまう」男社会。ああ、自分を省みても反省することばかり。恥ずかしい。
集団主義
これはガンですね、今思えば。「みんなと一緒だと安心する」とかさ。調和が乱れるのを嫌うから、波風立てたくないから、不愉快なセクハラも我慢してしまおう、とか。
減点法で見る社会
例えば、テレビ局は民放だから儲けなきゃならん。でも、仕事はクリエイティブだ。冒険や挑戦は必須だし、空振りして痛い目に遭うこともあるだろう。でも、その挑戦を評価しなければならない筈なのに、減点法だと左遷させられる。
逆に、挑戦なんかひとつもしないくせに、なんとなく可もなく不可もなく過ごしている社員が「妥当」と評価される。つまり、挑戦して「転ぶ」ヤツを待っている方が得策になる。
このクリエイティブな社会においても「減点法で見る」会社のありようが主要因でもあるね。
伝統大好き
それまで培われてきた伝統的なやり方を重んじる文化が日本にはあるよね。それは悪い事ではないけれど、時として、というか、場所によっては、というか「今は」適度に留めておかないと。
減点法だから「失敗を恐れる」ようになるのは仕方ない。でも、「変える」事への生理的抵抗感がありすぎるのかな。反対派って大抵それだよね。
コンフォートゾーン大好き
慣れ親しんだ環境は居心地がよく、安心できる。それは判るよ。だって、「今までそこにいたんだから」。でもさ、何かをやるってことは挑戦しなきゃ始まらないワケで、新しい事なのに新しい事をやらないのは残念というか後退。
それに気付かず、コンフォートゾーンの心地よさで、変える事にアレルギー反応ってのは、組織を司る側には不必要。
稟議制のウンコ
よく社内って稟議を通すよね。で、社内で最終的な決裁者のオーケーが出なければ、話が進まないってこと、よくあるよね。てか、これがフツーだったりするのが残念な今のジパングだな。
でも、これにより、「意思決定」が遅くて、変化に対応するのが猛烈に「遅れる」という事に、往々にしてなるわな。
面白い事って、大抵、決裁者の一存でバシッと決められる印象。そのブルドーザーのような決裁者の強いビジョンと行動力決断力があれば、この謎の「多数決制度」のような(無個性推奨システム)は不要になるはず。
成功体験へ固執しすぎ
フジテレビはまさにこれだよね。美化してそのチルドレンを優遇しすぎて時代遅れの会社となっていることに、会社全体で気付いていなかった。
だが、CX問題ってのは、今のありとあらゆる組織に当てはめて考えられる事であり、過去の栄光にしがみつくばかりに、多くを見誤ってる事に気付きたい。
まとめ
こうやって考えれば考える程、日本人というのは何しろ変化が嫌いであり、苦手なんかなぁと。
アメリカが弱体化したりトランプ2.0が開幕ってならずとも、地球番長の元で上手いことやっていけると盲信するのは危険なのだから、ということは、何かしら変化していかなければならない。
でも、九条死守派はいるし。その人たちの持論を細かくみていっても、ちゃんとした意見を見る事は少ない。要は「イヤなの」という意見にはよく出会う(まぁ立派な理由なんだけどさ)。
結局、何かが変わった瞬間というのは、大きな事(戦争とか災害とか)でのショック・ドクトリンのようなタイミングばかりのような気がしてしまうのよね。
とはいえ、その変化を嫌う国民性のメリットを考えてみようと思ったけど、パッと思いつかなかった。それに、今風呂が沸いたようなので、浸かって疲れとりまーす。ばいばいきーんっ。



