遺品地獄。そんな言い方しちゃあバチが当たりますがね、
でも、予想外に93歳で他界した父が色々な事をやっておった事が判ったので、それを継承するべき倅の宿命に、改めて自分の生真面目さを感じる私です。
PC駆使の昭和一桁生まれ💦
宮川勇という祖父は北海道の大沼公園の観光地化に尽力し、岡田善治とともにスケート会を立ち上げたり、和田静六に命が降りた大沼公園の設計と整備を協力してなしえて新日本三景に選出されるまでに至り、と、昭和生まれの孫の自分もまぁまぁ興味深い。
そんな祖父に関する当時の新聞記事の切り抜きやらコピーやらが沢山出てきて、見ていて、へぇ~と感心したり驚いたり。そんな遺品を見る今。
で。地元の観光課の方々がこれらの情報を欲して下さっていると親戚から聞き、さてどうやって渡したものか?と思案中。最後の奉公というか、最初で最後の親孝行というか、キチンとお答えしたいと思っている所存。
ただ段ボールに詰め込んで送り届けてしまえば良いではないか?と思うが、それでは上手くいかない。MOディスクに入っていたり、作られたのが、古い一太郎であったり、僕が教えたPCで作成されたデータやら、バックアップなので、そんなものをそのまま渡すのは不親切だ。僕が教えた通りにPCを学習していた父なので、よくわからない拡張子が飛び出してきても僕なら「ああ、あの時のあのソフトで作ったやつか。てことはあのアプリでも開ける筈だな」なんてことが判るワケですね。
なので、整理が必要。
なので、データをつらつらと、時間があるときに見ているのだが、中で「おや?」と気付くことがあった。
サイトがあった
父が大好きで尊敬していた祖父の情報は、話によると親戚縁者の皆々様は破棄してしまったらしく、東京へ出てきた父は老後に探しまくる事でようやく11歳の時に死に別れた祖父の情報に向き合い始めた。
で、調べた事を書物にまとめて地元に献上し、それから駅で配られるパンフに掲載されるようになったり、地元で父が寄贈した書画を展示するイベントが開催されたらしい。まぁ、そこまでは判る。てか、その時期に知ってたしね。あぁ、やってるなぁって思いながら僕は仕事に勇往邁進していた働き盛りの時期です。
だが、今回遺品を見ているとデータがいくつもあり、その中に、webサイトのURLのショートカットがいくつかある。見ると、うわ。父が作ったホームページがいくつもあった。存在してる。今なお。ここにリンクを貼り付けるのは遠慮するけど、それを見て。ははぁん。父はよほど、祖父の事が好きで、皆に愛してほしくて、こういうタイムカプセルようなものを埋め込んだのかな。なんて思ってジーンとした。
何しろ、昭和一桁生まれのオジイサンが、自分でホームページを作っていただなんて。
だが、当然、古いので、レスポンシブデザイン(開く環境に合わせて変わるデザイン/スマホならスマホ用にPCならPC用に)ではないし、SEO対策も無に等しい。そうはいっても、それでも、よくぞまぁ、レンタルサーバーを契約しないで、そういう自由におけるサーバーを見つけて、ページをそこにアップするなんて事が出来たもんだと、おったまげました。
だって、ftpソフトを使ってアップしてるワケでしょ? きっと。サイトもなにやら、画像とか背景に地紋をつけて読みやすくしてたりするから、あらビックリ。

GitHub
なので、それを見た僕が、うーん。なら、自分がアプデして差し上げないとなぁ。とこれまた長男らしい思考に及んだ今です。
具体的には、俺は会ったこともない祖父だけど、その祖父についての情報を遺品として相続した兄弟としては(まして長男としては)、それを精査して、ウィキペディアに掲載する努力から始めるか。でも、wikiだと百科事典だから「主観」が介入する余地はない。ならば、父のようにサイトにいくつかの情報を入れてみようかと思い立つ。
だが、待てよ。このブログも会社や劇団のサイト、政国ブログも番組ブログとかも全部が全部、自分の会社で借りてるレンタルサーバーとの契約ありきだ。加えて独自ドメインを設定しているので、そのお金も発生している。つまり、僕が死んで、僕の遺族がそのレンタルサーバーとか独自ドメインを更新せずに解約するだろうから(それでいい)、全てが消えてなくなるワケですな。まぁ、多分、自分が大病煩ったり、仕事全部やめよう!って思い立ったらその時点でなくしちゃう気もするが。
そのような永久に残らないものであってはならない。なぜなら、今回僕が見つけた父の作ったサイトは永久に残るものだから。父は永久に残したいのだろうから。となると、まぁ、wikiは残るにせよ(頼むぞwiki)、サイトはどうすれば? で色々考えた結果、GitHubPagesを使う事にした。だが、これだと問題が。
静的サイト
その問題というのは、このブログのように、ブログエンジンを使って効率よく更新するシステムが使えない。正確に言うと、データサーバーを使う動的サイトはGitHubでは公開出来ないのだな。
CSSとhtmlだけの静的サイトに限るのだ。そっかぁ、まぁ、それはそれで良いでしょう。だって、更新し続けるものじゃあないしね。ただ、遺族とか北海道に興味を持った人が深追いして調べて行き着くかもしれないぐらいのものなのだからして。
ということで、改めて、ひっさしぶりに、二十年ぶりぐらいに、CSSを書いたり、htmlタグを書いたりなんてことを始めたワケです。なんだかなぁ。
ちゃんとしますよ。
インターネットが始まった頃、「宮川賢の莫迦百態」というラジオ番組のコーナーのようなサイトを作って投稿を受け付け、ネット雑誌に載ったり色々な表現者から評価して貰えたりしたものですが(通称b-100)、その頃はイチイチふざけていて、
ホームページ上の画像にカーソルを持ってくると、文字が表示される場合がありますよね。あれは、目の不自由な人が閲覧している時に、この画像が何をあらわしたどのような画像であるかを説明する為の文章ですが、それはブラウザを開いただけでは表示されない。その画像にカーソルを持って来て数秒待って初めて表示される文章。
それを利用して、無意味な画像を並べて、一見何がなんだかわからないページだが、カーソルを乗せると出てくる文字群にコンテンツを詰め込んだページなんかも作った。それを見つけた閲覧者から嬉々としてメールが来たのが今でも忘れられない。そこにのみ面白い事が書いてあるってワケわからんしね。
また、当時「nobr」というタグがあって、改行しないというタグね。それを使って、1行だけでずーっと(つまり<p></p>で囲む事なく何百字も入力したページを作ったり、下には少しもスクロールする必要ないけど、右にはずーっとずーっとスクロールしないと読めない頁。ただひたすら読みづらい頁。そんなのを作ってふざけていたっけ。
勿論、架空の二十歳のロックンローラーというキャラを作って、その男の架空日記も書き続けたしね。その男にファンがつき始めた時に、なんだか申し訳なくなって、辞めた(引退したことにした)。てか、これ内緒。
そんなふざけたサイト作りを楽しんでいた時期から数十年の時を経て、今改めてタグを入力することになろうとは。<a href=>とかさ、今となっちゃあ、単語登録もしていないし、それを必要としないで推測入力してくれるドリームウィーバーもAdobe契約してるから使えるし。多少は楽になってる環境だろうけど、まさかの再勉強に至るとは。まぁ、phpが使えないので、僕の今のやる気でも、なんとかなれば良いのだけれど。









