日刊スポーツによれば、松田聖子さんは、それこそ訃報を受けた直後は憔悴していたが、
その後、NHKの紅白歌合戦には予定通り出演して歌うという意思を固めたということらしい。
本当だとしたら
それが本当だとしたら、とても強い意志であり、プロの矜持を感じるし、そしてそれが一番の娘への愛と友情にも思え。
降板したあのひとの立場は
そうなると、芝居で共演していたダブルキャストの故人の相手役をしていた寺脇さんが「続けられない」と降板を申し入れて、もう1チームの方だけで公演を全うすることになったという話と並べてみると、
違いが明確になる。
故人キャストチームの寺脇さんの他の役者たちはとばっちりを食らう事になるのかもしれないし、同じ気持ちなのかもしれない。
自分だったらどうですか?
って話だよね。
自分が同じ立場だった時に、どうなのだろうか?
そもそも、その芝居が「楽しい」エンタメ演劇である場合は「やりづらい」と思うだろう。だが、そんなの関係ないよね。仕事は仕事。でも気持ちは分かる。
相手役が他界したのに、こんなに楽しそうに舞台で演じてる俺ってどうなんだろう?
って自問自答はしちゃうだろうからね。
誰も悪くない
つまり、結論は、松田聖子さんは、親であるからして、悲しくないワケがないのであって、歌う事は、つまりNHKに予定通り出演することは「気丈」としか見られない。
だから、許されるけれども、他人であって、ただの共演者である寺脇さんは、「よく楽しそうに演じられるもんだねぇ」と後ろ指さされてしまう可能性があるので、松田聖子さんとは大きく異なる。
ので、断ろうが予定通りだろうが、どちらも悪くないし、責められない。違いが出てしまうだけの話。
故人はどっちを喜ぶのだろうか?
で、考えるべきは、故人はどっちを喜ぶだろうか? ってことだと思うのね。それ以外に考える事はないと思うからね。
でも、よくよく考えてみれば、そんなことは故人は考えていないよね。きっと。それどころじゃないから、この世におさらばしたわけだからね。
ってことは、故人の気持ちを思うと、ってのは詭弁でしかなくて、ナンセンスってこったな。別ものとして考えるべきらしい。仕事はどうでもいい。ただ一つ、ご冥福をお祈りいたします。って事しかないようです。
これから、また雑誌が色々と「原因」「動機」に近いものをはやし立てる時期に入るのだろうけれど、それはどれも見なくていいね。興味も持たなくていいね。ゲスの勘ぐりでしかないからね。そしてどういう理由であれ、納得する人もいなければ、納得出来ようはずもない。どんな理由であっても「でも、何も死ななくても」とか思うワケでしょう。読者は。であれば、知る必要さえないし、そのまま藪の中で良いように思えるよ。