ふと、思う。数年で還暦になる私ですが、果たして60歳で年金を受け取るのは「恥ずかしい」のだろうか?これはひとそれぞれの考え方だから、まるでどうしようが勝手だとは思うけれど、そういう価値観があるのかないのか、あるとしたらどうなのかをカンガエテミヨウ。
65歳から貰える
僕も年金の話をするようになりましたよ。お爺さんですからね。先日、体がピンピンのうちに、安い老人ホームに予約申込みを入れて(安い所はいつも予約待ち←つまりなかなか死なない←入居者死亡待ち?)、順番が回ってきたら、それが来年だろうが再来年だろうが、つまり元気な体だろうが、入っちゃうってのはどうだろう?って考えてみたんだよね。
そして、その元気な体のまま、老人ホームに入って、お金払って入っているのに、そのホームにいる老人たちの介護を手伝ったりしてみるってのはどうだろう?ってね。世の中の為になるよね。そして、そのまま二十年ぐらい僕が生きていたら、きっと本当に世話になるべきタイミングが来るだろうからさ。その時に、ようやくお世話になる、って感じ。
そういう人生の締めくくり方も面白いかなぁと思ってね。だって、親の介護をしていて思うけれど、「いつ」が「その日」なのかは解らないでしょう。その日ってのは、老人ホームに入るべき日、であり、死ぬ日であり。ということは、とっとと入っちゃって、いつその日が来ても大丈夫なようにしておくってのは用意周到すぎて面白いなぁと思ってね。で、老人ホームから大塚のスタジオに通って、番組録音したりする。で、老人ホームに戻ってPC立ち上げて番組編集して、老人ホームからオートバイ乗ってラジオ局に搬入に行く。悪くないよね。
年金
なんてことはさておき、年金。5年の前倒しが可能で、それを受け取るつもりだという友人がいた。その友人は大学生の同級生で、浪人してるから、僕より年上。で、「貰いますよぉ」とまもなく受け取る宣言をしていて、それに対して、別の仲間が「えええっ?! 恥ずかしくないのぉ?」てな反応だった。
ほお。そうか、恥ずかしいとな。
その感覚はなかったなぁ。僕は、まあ、多分60になっても貰わないけれど、でも貰える権利があるわけだし、貰っちゃ駄目という考え方もない。自由だよね。また、どっちが得か?で考えた場合
早く死んだ場合は、早めに貰っておいた方が得
になる。だが、長生きすればする程、65歳で貰った方が金額的には損になる
という事実。確か、60歳で受け取ると、金額が多少少なくなるんだよね。ちょっと今、調べてみるか。
ふむふむ。そうなるのか。つまり、60歳で受け取り始めると金額が満額の70%となる。と。
恥ずかしいのか?
その金額はさておき、恥ずかしいという点について考えてみよう。勿論、恥ずかしいとは思わないし、自由だ。だが、恥ずかしいと思う人の感覚について。
僕は恥ずかしいとも思わないし、損得だけで考えれば、「自分は長生きしないだろうなぁ」と思っていればもらい始めちゃうだろう。その「長生きするつもりがない」というのが人間として消極的すぎると言われようが、客観的にもしくは「直感」でそう思っちゃったのなら、仕方ない。
でも、絶対に長生きする自信がある! というのであれば、受け取らないかなぁ。わからんな。自分がどうするかは別にして。
前倒して貰うのは「戦略」の要素もあると思うから、決して恥ずかしいと一蹴出来ない気がする。
恥ずかしいと判じる人の理由は「65歳まででさえ働ける環境にないのか?」という点なのだろうか? つまり、65歳まではなんとか頑張って働こうぜ! その気概がないのが恥ずかしいぜ! という仲間への鼓舞なのだろう。
気持ちは分かる。だが、人生で楽しめる事というのは若い内にこそ多い。
つまり、70歳になってからよりも60歳の時の方が楽しめる事が沢山あると思うのね。ということは、お金を使うのは若い内の方がいいように思えるし、それが正解だと思う。経済を回す意味でもそれでいい。下手に年を取るとかねを使わなくなるから、日本は迷惑ですな。
そんな老人が急に70歳ぐらいでホステスさんに夢中になって、退職金を注ぎ込んで……なんて話もよく耳にするよね。それはそれで素敵な使い方☆
恥ずかしいかどうか。うーん。
まとめ
恥ずかしいと思う人がいるのは解らないでもないけれど、決して恥ずかしくはない、と思う。特に、本当に必要な人、親の介護をして働けない人、親の借金を引っ被ってドエライ目に遭った人、家族が重い病で床に伏していて、治療にお金がかかる人。その人は「恥ずかしくなくて」働くのが面倒だなぁと言う理由で受け取る人が「恥ずかしい」というのも、なんか違う気がするからね。
何が言いたいかというと、それぞれの事情について甲乙つけることがオカシイ、と。
大病ならオッケーで、
怠慢ならNG
ってのは、主観でしかないって話ね。