「日本でいちばん長い日」の作者の半藤一利サンがお亡くなりに。有り難いのは、何しろとてもわかりやすく書いて下さった事。
伊藤正徳担当として
まずは、軍事記者の伊藤正徳の担当として文藝春秋の編集者として、戦争体験者の取材に奔走。
社内で「太平洋戦争を勉強する会」を主宰して、戦争体験者から話を聞く会を開催。
そして、「日本のいちばん長い日」ができあがる。
そこからも、文藝春秋など多くの場で戦争について語ってきて、書籍も沢山あるのはご存じの通り。
全て「わかりやすい」という点が僕のような阿呆には有り難かった。
大宅壮一名義だった謎
だが、ずっと気になっていたことがあり、それが今回ようやく判明した。
まぁ、調べればとっとと判ったのだろうけれど、調べずにおったというだけです。
「日本のいちばん長い日」はどうして当初「大宅壮一」名義だったのか?
それは、文藝春秋の記者だったからのようで。ん? 出版社の記者って自分の名前で本出しちゃいけないの? かな? 時代? ん? まぁ、確かに相沢冬樹サンのようにNHKを退社してまで、真実究明に燃える人がいる(続報はこれ)。
慌てたのは、「えっ?! 大宅壮一って実在しない人だったの?? 大宅壮一文庫って?!」とか思ったら、やはりそんなこともなく、当たり前だけど、実在するし、文庫も八幡山にあるし、じゃあどうして大宅壮一の名前を?
と思ったら、序文を書いて貰っていたそうです。
ただ、それだけ。人の作品と思われても構わないから「日本のいちばん長い日」を上梓したかったということでしょう。
大宅文庫
ちなみに、「大宅壮一文庫」は八幡山にあるし、最近はネットで検索も出来るらしい。面白いので行ってみると良いよ。
全ての雑誌がある
といっても過言ではない。そんな印象。それを検索して見る事が出来、お金はかかるけれど、コピーを取る事が出来る。
テレビ番組の作家やってた時は、よくADに「大宅文庫でコピって来て」って言ってたものです。
自分でも、芝居の取材で利用させて貰った。駅からあそこまでを歩く路すがら、いつも
「そういや、住宅情報誌の連載していた時、八幡山は●●病院があるので奇声が聞こえたり脱走があったりの噂があって、家賃相場が他の駅より少し安いらしいよ、と不動産屋の友達から聞いたことを書いて、『全文書き直して下さい』と言われた事があったなぁ」
と20代の自分の変な事を思い出していたっけ。
半藤一利サンのご冥福をお祈りします。