どうしても行きたかった。ダリ&ハルスマン。諸橋近代美術館。本日9/6が最終日。なんとか滑り込んで行く事ができた。そして、クソ暑いけど、無事検温を通過し(これポイント)、入ることができた。満喫。満足。ご満悦。
ダリといえばの諸橋近代美術館
すんません。知りませんでした。日本にそういうのがあることを。ひどいなぁ。バルセロナに去年行った時に、フィゲレスのダリ劇場美術館に行かずに
「せっかく中三日あるんだから、もう少し遠くに行こう」
と知人オススメのサン・セバスティアンに繰り出した程度のダリフリークなので、諸橋近代美術館を知らないのも仕方ない。
常設展示だけでも、ダリ作品が「これでもかっ」というぐらいある。おおお。ため息出ちゃう。
ダリ&ハルスマン
そして、ダリとハルスマンだ。ハルスマンというのは、写真家で、ダリの「髭が上向いてる斜めから睨んでる風の写真」でおなじみ。
実は、このハルスマンとダリは、まるで漫才の相方のように、共同作業を繰り返していた。それは素敵な関係で、観に行くと、焼き餅を妬いてしまう。そんな二人。
photoshopは当時ない
どう考えても「アナログ」で撮影された時代なのだが、どう考えても「これをアナログで?」と疑ってしまう写真の数々。有名なのは、「ダリ・アトミクス」だ。
これね。オフィシャルの画像リンクです。
これ、どうやって撮影したか? まるで判らないでしょ?
ただ、「せーの」でパシャ!って撮ったんですと。なぬぅ~?!
しかも、ダリとハルスマンの家族が、そう、小さい娘とか女房とかが(この頃ガラが登場してたかは失念)、猫を放り投げる、水をまく、ダリは跳ねる。椅子は四本目の足をしっかり誰かが掴んでる。
話題のウェディングフォトの裏側、というのがヤフーに出ていたけど、そんなもんじゃない。もっともっと大変。しかも、考えてみてください皆さん。
フォトショがないだけではなく、「デジカメ」さえもないですからね。
ということは、フィルムでばしゃっ!と撮影して、一回シャッター切る度に、ハルスマンが階上の暗室に走って、現像して焼き増ししてみて「うーん。だめだ、もう一度」を繰り返し続ける。家族はたまったもんじゃない。幼い娘はこの事を語っている映像があって、今回公開されていた。声出して笑っちゃった。なんだ、その作業。バラエティ番組以上にイカしてる。
しかも、猫はいちいち濡れるから、毎回毎回、小さな娘さんたちが「猫を洗って、乾かす」という事をしていたらしい。素敵だよね。妥協なし。
それを繰り返していたら、
うーん。乾かすの時間かかるから、猫はなしにしようか
なんて言い出す人がいるのが現場でしょ。言わないのはテリー伊藤と黒澤明とダリぐらいじゃないすか(いや、もっといるな、きっと。ただ、サラリーマンクリエイターは嫌う話だ)。
すべてが浮いている
全部浮いてる「ダリ・アトミクス」は、フィゲレスにある「ダリ・アトミカ」がモチーフだ。
これは、ガラがスパルタの神話の女王を演じていて、「すべてが宙に浮いている」。それを受けて、ハルスマンが「だったら、僕もダリ・アトミクスを作ろう」と描いているダリ本人も含めて、すべてを「浮かせた」
ごらんの通り、ハルスマンの「ダリ・アトミクス」の中に「ダリ・アトミカ」がある!
それも浮いてる! 下の台も浮いてる! イーゼルも浮いてる! まるで、「絵画は何でもできるけど、写真にだって何でもできる!」と言わんばかりの。
だが、これは、ハルスマンからダリへの挑戦ではなく、完全なる共同作業だ。そして、思いついた事はハルスマンからダリに相談することもあったそうで。そうすると、ダリが「うーん、こうやればいいんじゃない?」とド派手なアイデアを出して二人の共同作業はどこまでも上り詰めた。素敵な関係だ。
アヒルの尻に爆竹
もともと、ダリ・アトミクスをやろう!ということになった時、ダリはこういったらしい。
アヒルのケツに爆竹を突っ込んでさあ、火をつけるでしょ。順番にバンバン鳴っていくでしょ。で、アヒルのケツがドカンといった瞬間に、僕らも一緒に飛べば面白くね?
ハルスマンは答える。
あのなぁ、ダリ。ここはアメリカだぞ(亡命後)。すぐに警察に捕まっちまうぜ!
もはや、コントのやりとりのよう。
監督コント
コントといえば、今回の展示で紹介されている映像の中に、二人が「演技者として出演しているショートムービー」がある。これがまた面白い。やっぱ、端的に言うとキチガイだな。ダリは(何を今更)。
そして、その映像は「前衛芸術」風に進んでいるのだが、どうしてもやっぱりダリなので、コミカルに見えてしまうし、そういう「馬鹿馬鹿しいのが大好きな二人」なのだ。それを判ってみていると、やりとりの一部が
監督コントにしか見えない
部分があって、面白い。
僕は、美術館で時折声出して笑っちゃう時があるのね。美術館って、声出しちゃいけない所って印象だけど、コロナ禍を除けばかまわないと思っていて。
マリリン・モンローと●●●
で、せーので撮影する以外の作品も沢山あってね。マリリン・モンローと●●●のコラージュなんかは、もう爆笑もので。あれを笑うなというのは無茶な話。どこにも出ていないので、またどこかで見る機会があったら、見て笑ってくだされ。敢えて伏せておく。
もう一つのは書いてみる。
ピカソとダリの肖像写真のコラージュがある。これも爆笑。堪えられなかった。
そもそも、ダリはピカソに憧れていたのだ。このあたりが「筒井康隆が文学賞をほしがっていた」のと同じぐらいプリティで興味深い。あなた方に賞なんぞ無用でしょうに。と心底思う。生き様すべてが表現なんだからさ。
その「憧れの天才」ピカソと自分を混ぜ合わせる。そしてしたり顔のダリの目つき。笑ったなぁ。
笑うものではない?という誤解
ヒネミ
なんだか、高尚なものになると「笑っちゃいけない」という印象になってしまうのはよくない。宮沢さんが岸田戯曲賞を受賞した「ヒネミ」の再演に(つまり受賞後初)出演した時に、「芸術を見るかのような」観客席の雰囲気に不思議な感覚になったのを思い出す。
笑っちゃいけない?!と思ってる雰囲気が漂っている客席。それに対して、僕と中村ゆうじサンが「もっとわかりやすく(つまりベタに)やりますか?」と進言して宮沢さんに烈火の如く叱られるという(そりゃそーだ)事があった。
梅佳代
梅佳代の個展を見に行った時も、爆笑しちゃうんだけど、なんだか木村伊兵衛写真賞を受賞したら、笑っちゃいけないような文化作品を見るような雰囲気で凝視してる人がいて。
いいか、みんな。梅佳代は、全部「プログラムオート」で撮影してるんだぜ。公言してるんだぜ。もちろん、にらみつけるように見るのは自由だけど、そういうこっちゃないよ。あんなに空気を持ち込める写真なんだから、その空気を味合わないと失礼じゃないか。と俺は思うタイプ。
ダリとハルスマン
つまり、ダリとハルスマンも声出して笑っていいと思うんだけどね。でも、こういう客、嫌われるんだよなぁ、きっと。
ちなみに、僕が声を出して笑ってしまって喫茶店の店員に怪訝な顔をされたのは、
- 梅佳代「うめめ」を買って読んでた神保町の喫茶店で
- 中崎タツヤ「持たない男」を買って読んでた大泉学園駅前の喫茶店で
- 読みかけの森見登美彦「夜は短し歩けよ乙女」の続きが読みたくて入った新宿の喫茶店で
の三回です。ほかにもありそうだけど、パッと思いついたのはこれだけ。なので、よい子はまねしないようにね。僕は笑う方が幸せと思ってしまうから。
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すべてを「浮かせる」というダリ・アトミクス(ダリ・アトミカ)の考え方は、日本におとされた原子爆弾での物質の不連続性を考えさせられたから、だとか。反物質宣言。
だまし絵風の、この作品。もちろん原爆だ。だが、これを知ってる人はいるかな。だまし絵の中に、ある人物の顔が「二人分」入っているのだ。
手前の大きな男の後ろ頭風のキノコ雲の中に「アインシュタイン」が、大木の横に「フロイト」がいる。二人の顔のシルエットを理解してからこの絵を「諸橋近代美術館」に観に行けば合点がいく。(これは常設展示の筈)
つまり、アインシュタインとフロイトは「人はなぜ戦争をするのか?」で発表されてる「往復書簡」が有名だ。アインシュタインは「原爆を発明した人の一人」だ。そういうことね。
そして、原爆にビリビリとシビれたダリは、原爆をモチーフにした写真をハルスマンと撮影している。水の中にダリが頭を突っ込み、口に含んだ牛乳をボワッと出して水の中でキノコ雲を作ってる。ダリなのでふざけているようでふざけていない。なのに、終戦直後なのでものすごくスパイシーな筈だ。
諸橋近代美術館では、「牛乳ボワッとキノコ雲」の写真のTシャツと、別のTシャツが売っているのだが、牛乳ボワッとキノコ雲のTシャツはすべて売れ残っていた。それが
ここは日本なのだ
と理解できて嬉しい。そして
ここは福島なのだ
でもある。
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