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コマン

新コーナー「間違いサガシング☆名探偵コマン」に麻由美役で、来月の公演に出演の北澤友梨枝サンに協力して貰った。

悩む

公演の稽古を共にしていると、多少変な仕事も僕が頼むと断りづらくなるので、そういったことを踏まえてお声がけした方がいいなぁと思いつつ、それでも稽古が始まったということは忙しいワケなので、わりと頻繁に会う役者さんにお願い出来れば、稽古場で録音も出来るのでそりゃあ首尾良くいくってもんです。

コマン

コマンは今週土曜日のラジオ「宮川賢のデートの時間でそ?!」で登場する新コーナーです。最近ふと思い出したんだ。20代にラジオに携わり始めてから、音声で出来る事(つまりラジオで出来る事)ってもっともっと色んな事があるのになぁと思っていた事を。とりわけスタッフではなく出演するようになってからは殊更それを感じたまま長い年月が経ち。で、ここに来てふと思い出したんだな。「おはよう!スプーン」はじめた頃だな。そうさ、もっと色々な事をやらなければ、と。

20代の時。曲かけないハガキ読まないゲスト呼ばないコーナーやらない。の4つの決まりを自分に課してやっていたあの頃。ラジオの可能性のギリギリラインの端っこに何があるのか見に行ってみようよと共に作っていた人と話した記憶。あら懐かしい。だが、思い返せばサボッていたワケではなくて。色々な状況が整わなければそんなことを上手くやるなんてことはできやしない。そもそも、内容に口出されてしまえばそれはやる気がなくなりギャラ仕事に成り下がるし、それを続けているのがイヤになれば辞めるワケだし、許容されても「そんなに頑張らなくてもいーんじゃないっすか」と楽してこなしたいだけのスタッフとタッグを組んでる時は、不可能で、その人が楽になるように考えるしかない。そこで、ガッツ入れる気にはならない。そのスタッフを僕に当てるってことは、その範囲でやればいいのね?と理解してるし。

そもそも、番組作りは、やればやるほど面白くなるけど、サボればサボる程コストパフォーマンスがよくなるワケだから、ビジネスとしてみたら、自分のものつくりのプライドとの戦いなのよね。そうやって考えると「作品」として作っている人なんかいやしない。そういうのは向かない世界。

ラジオドラマ

なぜそうなったのか? ラジオドラマが絶滅危惧種となっているからだと思う。ラジオドラマは作品だよね。どちらかというと。なので、アヴァンティってTFMの番組はそれに近い感覚で臨んでいたし、それに近いと思う。番組ディレクターも信頼出来る人だったし。

丁寧に作るとクラブキングの桑原茂一さんの作る世界のように、丁寧にこまかーい所ひとつひとつが生理的にも気持ち良い世界が構築出来る。あ、勿論センスないとダメだけど。

ただ、ラジオドラマやラジオコントは今はむかない。コスパ悪く数字も取れないとな。まぁあんまやってないから台本書ける人もちゃんといるのかどうか。そもそも、その台本にちゃんと駄目出し出来るディレクターがいるのかどうか。

例えば、登場人物が3人以上になった場合には男女比も考えて声質で聞き分けられる人をちゃんと配役するであったり、名前をいちいち言わせる、なんてことをやらないとならない。場所も象徴的な音があるシーンを選ばないと全部どこか解らなくなる。脳内風景になっちゃう。ベースノイズをベタ引きするダメな人もいれば、声の似てる女性二人に延々と口論させて平気なディレクターもいる。口論ってことは言葉が乱暴になるのだから、主語述語とか構文が崩れがち。つまりそれを畳みかけたらどっちが何についてどういう話をしてるのか解りづらくなっちゃうからね。

でもラジオドラマではなくても、それが持つ魅力や迫力を(つまり良さを)かすめ取るような事ぐらいなら出来る筈だ。と言うわけで今もまさに色々やっております。



そして、コマンもそうです(えーそんなぁー)。でもそうなのだから仕方ない。聞けばなんて頭の悪い低俗な事を、としか思わないと思うけど(てかそう思われる事を目的にやっているのだけれど)、実はそんな事が裏に込められてるなんて、なんてヒデェ沿革だ。嗚呼酷い。

イマジナリーライン

映像だとイマジナリーラインてのがあって、編集の繋ぎでの法則だよね。

ラジオドラマでもそれは必要でさ、それを考えていない編集があって、聞いてて泣きたくなることがある。NHKでも酷いのがある。

例えばさ。モックサウンドの水越さんしかこの手の話を解ってくれる人はいない状況だけどさ。

ラジオドラマで歩きながら話すセリフを録音するとする。そのセリフを聞く人(相手役)の位置にマイクを持って、例えば並んで歩いているのなら、すぐヨコで録音するよね。だが、その時に話ながら歩いている人の足音も拾うとした場合、靴の方にマイクを持っていって録音したものをくっつけようとするのさ。これ最悪ね。

靴にマイクを近づけて録音したものと、唇に近づけて録音したセリフをミックスしてしまうと、言葉も靴音もオンマイクで拾われているから、地面を這うように進みながら話してる人になっちゃう訳。
セリフをオンマイクで録音するのならば、靴音は口の辺りにマイクを構えて録音する靴音と重ねないとならないわけ。

これあったりまえのことなんだけど、出来てる人少ない。全部オンマイクでミックスされてるから、うるさいうるさい。センターしかいないAKBみたいな感じ。
会話となれば、当然、マイクの位置が問題になる。あれ、今、俺(聞いている人)はどこにいることになってるんだ?という具合なのはラジオドラマとしてはよくないよね。

とまぁ、ラジオドラマでもイマジナリー気にしておくれよ、というお話。

名前を言う事

といっても、トーク番組でゲスト数人を迎えて回すパーソナリティとアシスタントというパターンでも、乱暴に話し続けるゲスト(全員男)たちに相槌打って話を広げることこそすれど、名前を頻繁に口にして「今喋ったのは誰誰さんですよ」と聞いている人(ビジュアルが見えない人)に向けてフォローしていない、出来ていないアシスタントが多いのも事実なので、

イマジナリーなんていうせまーい話なんてどうでもいいのだろうけれどね。

まとめ

で、まぁ、話をまとめると、ラジオは面白いよ!ということと、コマンが始まるよって事です。そして聞けば「しょーもないなぁ」と思うよってことです。


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作成者: 宮川賢

何しろ、インプットを多くしないとアウトプットばかりだと枯渇しちゃうし、ヤバいのでまずは読書を。そのためにソロキャンプや旅行や仕事も頑張らないとなりません。なーむー。