今年の3月10日から11日にかけて陸前高田に行った。その時撮影した写真を見返していると、様々なことを思ってしまう。思わなくても良いようなこともね。
献花

色々な場所で献花式典。追悼式典しているなかで、自分が他府県からでも許される場所を調べていきました。で、テレビの取材を受けたりしてね。

で、海沿いの防潮林を育む過程を見て、不思議な気持ちに。






防潮堤という最前線
つまり、海からの波、潮から守る為に、防潮堤っていうのがあるわけで、防潮林の松はそうやってこの地を守ってきた。その松がことごとくなぎ倒され、なぜだか一本だけ残っていたのが、奇跡の一本松。
この松は復興の象徴として誰もが訪れる。このそそり立つ姿を見て誰もが元気を貰う。特に他府県から来る人はね。
海ってのは戦争で言うと、最前線みたいなものなの? そんなことを思ってしまってね。

兄弟であり家族であり仲間
陸前高田の人たちにとって、海は、仲間だった筈。同僚であったはず。いつもそこにあり、いつも生活を助けてくれていた。勿論、多少不機嫌な時に厄介はあれど。それが311では予想外のことに。
どうした、兄弟?
ウクライナとロシア
ロシアのウクライナ侵攻の前に、クリミア併合ってのがあった。その時を、ウクライナの人たちは、「兄弟から銃を向けられたようなものだ」と語る。「親や兄から銃をいきなり向けられて、撃ち返せる人はいませんよね」と。そう、どうしたの、急に。ロシアは兄弟のような存在だと思っていたのに。ウクライナでもロシア語をメインに使っていますよ。実際にゼレンスキー大統領もロシア語の方が上手ですよっ! なのに(というかだから?)。
親から銃口を向けられて撃ち返せる人はいない
だから、すんなりクリミア併合と相成った。それがあの時。だが、今、それは状況は変わり。兄弟と思っていたのはこちらだけだったようだ、と気づき。
かかってこいよ、元兄弟っ

松。海。トラック。
海岸は海と陸前高田の人たちとの境目であり、戦争で言うと最前線。でも、戦争でなければ、ただの国境であり、陸と海との境目でしかない。
陸前高田の人たちは、海に対して「なぜそんなことをするんだい?」って思っただろうなぁ。クリミア併合の時のウクライナの人のように。
仲間か敵か。
それが、仲間か敵か判じづらい相手を、ちゃんと見極めつつ生きて行かなければ駄目だよ、と教えてくれていると受け止めるべきか。
とはいえ、いつ銃口を後ろ頭に突きつけるかしれない峰不二子を愛し続けるルパン三世のような脳天気で素直な自分でいるべきか。
まぁ、熟年離婚切り出されて慌てるオッサンとかはこれに準ずるかもね。←とか言ってるヤツが一番アブナイんじゃね?


