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悲しいお話

男の子を守りゴリラを射殺

これで一応、男の子は助かった。けれども、ゴリラは死んだ。麻酔は時間がかかるから射殺を選んだのだそうだ。引きずり回して危険だったそうな。

動物愛護団体はこれを怒るのかなぁ。仕方ないというムキもあるだろうけれど、怒る気持ちも分からないでもない。

で、自分はどうなのかというと、恥ずかしながら仕方ないと思う。とても悲しい事だけれど。ペットや動物園の動物である限り、人間の管理下にあるので。でも理不尽。ゴリラは何も悪いことはしていない。というよりも、男の子がその柵の中に入ったのは、入ってしまったのは、落ちてしまったのは、ゴリラのせいではないからね。完全なる人為的なミスだからさ。そのミスの所在はよくわからないけれど、ゴリラのせいではない。誰かのせいなのに、その責任をゴリラが命をもって償わされたという事実。そこに理不尽を思うよね。

でも仕事をしていても、理不尽なことはよくあるワケで、人のミスなのに自分が叱られる事もよくある。それをいちいち受け流して消化出来るようになるのは大人の証。えん罪だ!と思いながらも、上司に対して「僕じゃありません。多分あの先輩の責任だと思います」と言った所で、みじめったらしいやつだ、と逆効果に繋がりかねない。

それを無理矢理、俺のせいだと思われる程度の自分が問題なのだ、まさかあいつはそんなミスはすまいと思われる信頼される部下にならないことが問題なのだ。全ては自分のせいなのだ、と無理矢理承服できない事を飲み込んで人は大きくなる。社会に適合していく(嗚呼)。

人として生まれた限り、人間は平等であって欲しいと思う。人の命は平等であって欲しいと思う。肌の色や年齢、関係なしにね。命をかけて人を守る仕事をしてる人は別の話よ。SPが大統領を楯にしてたら笑うもんね。

だけれども、人間以外の命はヒエラルキーがあるようで、もちろんそれも人間が作ったものだけど、ペットが上の方にいる。下の方には、人にとって不必要で害をもたらすもの。痛がらない植物なんて、どんだけ命を奪ってもお構いなし。ベジタリアンは野菜が「ぐああああ、いだいよおおお」と唸りながら刻まれたとしても食べ続けられるかい?

で、人間だけが命の頂点にいるようです。人はみな平等であるべきだしあってほしいと思うけれど。言葉を使えない、もしくは使ってるのにヒトに気付いて貰えない生き物たちはどう思っているのかな。この侵略の歴史は永遠に続くのかな。

僕はこれから「まつぼっくり王国」を録音するよ。届いたメールを印刷してそれを読みつつね。その紙は森林伐採によるもので、命を番組に、命を生活費に変えているね。ごめんよ、木。

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作成者: 宮川賢

何しろ、インプットを多くしないとアウトプットばかりだと枯渇しちゃうし、ヤバいのでまずは読書を。そのためにソロキャンプや旅行や仕事も頑張らないとなりません。なーむー。