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映画観てきたナリよ

真珠のボタン

という映画を観てきました。ずっと観たかった。というより、岩波ホールで上映が終わったので地方都市に出向く以外に無理かなぁと諦めていたらアップリンク(さすが!)でやってた。ので観てきた。ラジオの生放送終わりにね。土曜日の昼間に生放送っていうのは、芝居の土曜日マチネが打てない悩みどころではあるけれど、放送後に芝居を見に行けたり映画を観られたりするからなかなかいい。勿論、とっとと大塚に戻って録音だとか仕事する場合もあるし、家へ帰って書き物の仕事をする場合もある。でも、車が乗れるようになった今となっては、赤坂からまっすぐ下道で練馬区の家に帰るのは平気で2時間コース。つまり混んでるのね。本当に時間を無駄にしたような感覚。勿体ないといったらない。なので、疲れている時は容赦なく首都高速に乗って時間を「金で買う」なんてこともするけれど、最近は、「どうせ帰宅するのに時間がかかるなら映画でも観よう」というなんとも若い頃には思いもつかなかった事を実践出来る環境に大満足。ありがたやありがたや。というか、芝居始まったらそうもいかないんだろうけれどね。

はじめに(引用)

およそ138億年昔、ビッグバンとともにこの宇宙が誕生し、46億年昔に地球が誕生、やがて水のなかから生命が生まれ進化を続けた。海から陸が生まれ、映画の舞台となる南米チリという国が生まれた。巨匠グスマン監督はその果てしない時の流れのなかで、大宇宙や自然をとらえた驚異の美しい映像とともに、人間が過去に繰り返してきた蛮行をとらえる。ピノチェト独裁政権下(1973~1990)での弾圧、さかのぼり行われた植民地化と先住民への虐待などである。

大宇宙のなかの地球、その光や水は、人間とともに、宇宙の営みや人間の業ともいえる歴史の事実を記憶している。この2作品を見る者は、心にこれまで経験のない意識が目覚めるのを感じるだろう。永遠の時空のなかで生成するひとつの生命体としての大いなる意識。人間は地球の支配者ではない。歴史の記憶とは。人間の、人間やほかの生命を蹂躙する性(サガ)とは‥‥。 『光のノスタルジア』と『真珠のボタン』、この2作品における「星の視座」は、今日の混迷する文明社会で顕在する、人間の暴力や支配への欲望に対して、私たちが忘れようとしている人類の叡智を思い起こさせる。

それは未来への希望にほかならない。

予告編(ユーチューブ)

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作成者: 宮川賢

何しろ、インプットを多くしないとアウトプットばかりだと枯渇しちゃうし、ヤバいのでまずは読書を。そのためにソロキャンプや旅行や仕事も頑張らないとなりません。なーむー。