忘れる能力というのも人にはあると思うし、それがあるから助かってる部分もあるけれど、
311
でも、311の事は忘れていけない部類に入ると思っていて。勿論、普段はヘラヘラしていても、ここ一番では教訓として生かさねばならないし、女川原発と違って福島第一原発の「甘さ」は指摘されてしかるべき。
同時に、Co2削減において原発は一旦「利用」しなければ、難しい、というのもあるし、でも、一時的とはいえ、原発に頼らねばならないのは悔しい。
2011年の夏ぐらいにTBCラジオにお邪魔して皆様とお喋りをさせて頂いた時、「ガンガン来て下さい」と言って頂いて(物見遊山で来る者の倫理観が問題になっていた時だったので遠慮していたが)秋に車で回ってきた。
その時撮影した写真は、10年後まで公開しないでおこうと思っていた。
その時は「ショックで涙がチョチョ切れ」ていたからね。
それをそのとき公開することが、東北の人たちの心の傷に塩を塗り込むようなことのような気がして。
ですが、公開します。今見ても、東京モンの僕は「随分前の写真」という印象がある。勿論、何度も石巻や女川に行ったから、復興への道のりをビジュアル(だけ)で見てきたから感じる点だ。
一つ一つを見て欲しいです。ビルの上に乗っかっちゃってるバスが視界に飛び込んできた時は、涙が止まらず、車止めて泣いてました(まぁそこに限らず何度もそれはあったのだけれど)。
そして、まだ旅館が営業再開していないところが多かったので、ぐるりと回って、そのまま岩手の内陸まで行って泊まった記憶。平泉の紅葉を見て、高ぶった気持ちを落ち着かせて安全運転に戻れたのを今でも思い出す。
写真で見ると、絵空事感が強いけど、目の当たりにすると怖い光景ばかりですね。
でもそれは、津波直後のもっともっと凄惨なる状況に比べればまだまだ程度が軽いのだろうけれど。
あの時も医療従事者の方々に、並々ならぬご尽力を頂き、無力な自分でも応援や祈りでなんとか気持ちを保てたものです。
奇しくも東京五輪は、震災10年となった。海外の人たちに宮城の福島の岩手の魚を食べて欲しかった。野菜を食べて欲しかった。です。