仕事前に読むんじゃなかった。号泣必至の萩本欽一さんのスミちゃんとのお別れ談。
糟糠の妻を看取った欽ちゃん
週刊文春10月15日号。「欽ちゃんの(人生)どこまでやるの!?」連載の第16回。なんと、奥様「すみちゃん」とのお別れの回。ああ、素敵なご夫婦。
僕は子供だったから、欽ちゃんの結婚エピソードはよく知らなかった。だが、少年の頃に週刊朝日(親父が持ち帰るのを読んでた)の後半モノクログラビアに掲載されていた萩本欽一結婚していた!記事に少し驚いた。
結婚していた事を伏せていたらしい話と、その伏せていた事を欽ちゃんが済まなそうにしていた雰囲気。子供心に思っていた。え? 別にいいじゃない? 芸人さんなんだし、どんな人と結婚しようと何が悪いワケじゃない。
不特定多数とセックスして公衆便所で5分で射精してる人と比べれば雲泥の差。
奥様が「踊り子」さんだった事で隠していた(正確には伏せていた)そうな。へぇ。そんな必要ないじゃないか?と強く子供心に思った覚えがあってね。それが今、今日、ようやく氷解した。
奥様が「伏せておけ」としていたらしい。涙チョチョ切れる。
私と結婚しちゃダメよ
劇場の踊り子さんだったスミちゃんは一番の人気女優だった。欽ちゃんからは雲の上の存在。目も合わせる事もできなかった人。年齢も三才年上。
それが、欽ちゃんの師匠の1人東八郎から「欽坊もそろそろ一年ぐらい地方でドサ回りしてこい」と命ぜられ、地方巡業で自分の力を試す機会を得た。そのお別れ会の後、
「あ、欽ちゃん。ちょっと待って」
スミちゃんがクビにかけていたネックレスを外して欽チャンに投げて寄越した。
「お金に困ったら質屋にいれたらいいよ!」
それ以降、ドサ回り修行中、いつもポケットにネックレスを入れていた欽チャン。「ああ、ここにスミちゃんがいるなぁ」
だが、交際はしない。セックスもしない。なのに売れっ子女優は欽ちゃんの家賃を払ってくれた事があったり、「これからはテレビの時代だから勉強した方がいいよ」とアパートにテレビを持ってきてくれたり。
スミちゃんは言う。
「欽ちゃんが有名になりそうだから応援してるだけ。いつか可愛い女の子と結婚するんだよ」
コント55号で人気絶頂へ
そして、55号は人気者の頂点に立つ。アイドルのように人気者。周りに素敵な女性も現れるようになり、結婚を意識し始める欽ちゃん。でもその前にスミちゃんにお礼を言わなきゃいけない、と思って、欽ちゃんはスミちゃんに会いに行く。
「有名になってお金も入ってきたから、恩返しがしたい」
と言うと、「わたしはなーんにもいらない。そんなつもりじゃないんだから」と拒否。
欽ちゃんはこだわる。
「でも何か欲しいものはないの? お店をやりたいとかさ」
するとスミちゃんは、こう答えた。
そうだなぁ。子供かな。私も子供を1人ぐらい育てられたらいいなって思ってる。それだけよ」
そしてその日初めて欽ちゃんは彼女に抱きついて、そうしたら本当に子供ができちゃった。
スミちゃん失踪。
なのに、スミちゃんは妊娠したことが判ると失踪する。ある日、「生まれた子供に名前をつけて」と電話がかかってくる。だけど、それきり。どこに住んでいるのかも教えてくれない。
私なんかと結婚したら欽ちゃんの仕事の邪魔になる
と思ったらしい。
欽チャンは大胆な作戦に出た!
アイドル状態だった欽ちゃんが、記者会見を開く。そこでこう公言する。
僕は結婚しているんです。子供もいるんです。
と。それはスミちゃんへのプロポーズだった。それをスミちゃんは母親と一緒にテレビを見て泣いた。そして2人はようやく結婚生活に入ることができた。二宮の家には週末しか帰れない忙しさだけど。デートは二宮の近所の畑の中を10分歩いただけの夫婦生活だけど、2人は幸せだった。
文春の記事は、そのスミちゃんを看取った欽チャンの談話。「ありがとうの物語」というのは実際に読んでみてください。
子供の頃の疑問符が氷解
この記事を読んで、子供心に「???」と思っていた事が氷解した。どうして結婚している事を隠さねばならなかったのか? 欽ちゃんはそんな隠すような人じゃないでしょう?そんな「????」がずっとあった。踊り子さんと結婚して何が悪いの? 実際それを公にしたことで、萩本欽一の人気に陰りが見えたりもしていないし、視聴率も高いまま維持し続けていた。
つまり、そういうことだ。スミちゃんが全部「隠したがっていた」のだね。そして奥様(先輩女優)の思いを汲んでいたということらしい。
なーんだ、そういうことだったのか。ようやくわかったよ。
テレビに夢を見ない少年にさせてくれて有り難う
個人的に萩本欽一サンに感謝したい気持ちがある。それはテレビの汚い部分を垣間見せてくれたことだ。
僕は、子供の頃、小説を読むのが好きだったが、ご多分に漏れず、当然テレビの面白さに(フツーに)食いつく少年でもあった。
だが、「8時だよ!全員集合」と「欽ちゃん」は怪物番組だったこともあり、それにまつわる書籍も未成年時代に読んでいる。
居作昌果(いづくりよしみ)というTBSのドリフのプロデューサーだった人の本。そして、欽ちゃんのエッセイ。
この2冊を読む事により、テレビの「テレビから伝わる華やかで魅力的な世界」と裏腹の陰の部分を見ることになる。もちろん欽チャンのエッセイだから、オブラートに包んでいるけど、バラエティ番組で語られる事は絶対にないであろう汚い事も若干は含まれていた。
例えば、芸人の売れない先輩と麻雀をやったとする。欽ちゃんが8000円勝った時、
「じゃあ今度、キリよく1万円返すから、2000円よこせよ」
という先輩。当然、そのままその2000円も帰ってこず、負け分の返済もない。そんな金に汚い卑しい先輩も何人か見てきた、といったような内容ね。
子供心に「ひでーな、この世界」と思ったよ。ドリフの居作サンの方はもっとひどくて、ドリフの愚痴のオンパレード。まぁ、有名プロデューサーが祭りの後に書くのは「悪口に陥りがち」ってのは今でこそ判るけど(今現在、僕にTBSラジオの悪口を言わせようとしている人がとても多いのとまさに同義)、それにしても宮川少年には厳しい洗礼だった。
それからタレントや芸能界というところに対する斜めからの視座は変わらなくなった。そしてそのことに感謝している。利権が大きすぎるから距離を置いていないと飲み込まれてしまうし、それに対して毒を食らわば皿までの気持ちになんかなりたくない。
そういう意味でも、あんなにクリーンな印象だった欽ちゃんが見せてくれた汚い部分のおかげで自分は今も自分らしくいられている。感謝感謝だね。
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こんな華やかな世界にいても、女をとっかえひっかえで楽しむチャラい男にならず、馬鹿な女に唆されて離婚させられてファンをガッカリさせるような事もなく、生涯、1人の女性を愛し続けた欽ちゃんって素敵だね。
そうそう。思い出した。巣鴨に欽ちゃん劇団の稽古場があった時があって、そこを閉めた時に余った黒幕。それが今、僕の大塚レ・サマースタジオに来ています。引き取った大塚萬スタジオから譲って貰ったんです。ちゃんと防炎加工されているので、おかげさまで常設興行場の認可を貰うことができました★いろいろ感謝だな。
そういや、ワイド番組が終わる時に、呼ばれてもいない東八郎氏のご子息タレントが一升瓶持って別れを言いに来てくれたのも今思い出した。イズムは受け継がれ。
ありゃ。待てよ。
そのアズマックスがきてくれた番組タイトルの「誰なんだお前は?!」も「デートの時間でそ?!」も「?!」が付いてるのは「欽ちゃんのどこまで笑うの?!」の「?!」だろうし、「お前の母ちゃん宮川賢!」とか、要は「!」とか「?!」をつけたがるのは、ドリフや欽ちゃんの影響っぽいな(今自分で気づいた)。
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↑欽ちゃんスミちゃんの愛の物語はこの号ね。