話題の本を読みました。コミックエッセイ。といえば軽く聞こえるけど、深く重いテーマを孕む。
女性としての生きづらさ
漫画とエッセイで綴られる。作者はミン・ソヨンという女性。韓国嫌いの人に興味を持ってもらえる事を敢えて言うなら、この作者ミン・ソヨンさんがフェミニズムに興味を持ったのは我らが上野千鶴子サンの本がきっかけだったそうな。
世の中の#metoo運動が裾野を広げ、韓国でも複雑化したムーブメントとなっている。どうして複雑化かといえば、本書を読んでわかった事だが、この書籍が
韓国で「賛否両論」っ!
なのだそうだ。ええええっ?! 賛成こそわかるが、「ぴっ」って何よピッって? それが韓国のお国事情を表している。となれば、これは「クソ女」という男性が使う女性蔑視の単語を自称する「卑下」を以てでないと発刊に至らないのか?等からもうかがえる。
痛快漫画
ちょっと読めば、おお、痛快だ!女性の心を反映してる!と、自分ら男には分からない部分を理解できてとても勉強になる。そして、あーわかるわかる!と共感する。それが男であろうとも。もちろん、女性からみれば「わかるわかる!じゃねぇし。きっとわかってねーし」だとは思うけどね。
こういった具合。日本と韓国は「女性の置かれている立場」がとても似ているらしい。上野さんの本に著者が刺激されたというのは理解できる。なぜ、女性は、「男が求める女性像を演じ続けなければならないのか?」。その男性社会の常識に「くそ食らえ」な一冊。
ジェンダー問題
男女不平等の問題に関しても、日本とほとんど同じ状況のようだ。そして、男に立ち向かう「恋愛対象としての女性」以外の立ち位置がとても多いので、深さは読み進むにつれて増していく。
毒を吐く、というような言い方で片付けられてしまう女性だが、それは「女が言うから毒」であり「男が言えば主張」でしかない。その違いも揶揄する痛快さ。そして女性の置かれている立場たるや・・・。
強がっているけれど、、、
僕は男性です。確かにこれは「最初は分からなかった」し、「読み返した」。でも読み返して分かったのでまだヨシとする。けど、これを理解しただけで及第点を自分にくれてやるような男(僕)がのさばっていること自体が、憂うべき。
わかりましたかね? 女性の心理なんてそうそう理解できるものではない。分かったつもりの男性でもなかなか難しい。
作者も虚勢と承知してる
作者もそれを「女性の虚勢」と承知しているのが読み進むことで理解できる。ただ、ここでは紹介を控えるが、セックスの章なんぞは、痛快無比無比で、抱腹絶倒なので、猛烈に強い女性であることは間違いない。しかし、なのに、こうも葛藤しながらの生活であることを知ると、いかに韓国においても女性の立場が極端に悪い事がわかる。
前書き
だが、この本の本質は漫画に代表されるような事についての「テキストでの注釈」ともなっているエッセイ部分だ。エッセイでありながら「女性の主張」で熱を帯びる。怒りの発露を感じて笑えない部分も多々ある。それほど根深い問題。
初潮を迎えて「もう女なんだから行動に気を付けなさい」なんて言われなくて済む世界。まるで犯罪行為みたいに、生理用品をコソコソ取り出さなくてもいい世界。あばら骨をぎゅっと締め付けるブラジャーに、何十年と苦しめられなくてもいい世界。
クソ女の美学
女と男が同等の給料をもらえる世界。女と男が同等の割合で採用される世界。女と男が同等の扱いを受ける世界。女と男が同等の待遇を受ける世界。
私たちはただ、公平であることを願っているだけなのに。
そんな気持ちでこの漫画を描き、エッセイを綴りました。
2018年8月
ミン・ソヨン
罪深き男尊女卑。
男ってやつは、
そんな彼らが心底恐ろしい。
考えてみれば、そんな行動をとる男たちは、心からその女性と付き合いたいと思っているわけではないような気もする。むしろ女性に親切にしている自分に酔って、あるいは、この子と付き合えるかもしれないという期待に酔って、その幻想を楽しんでいる感覚に近いのではないだろうか。ラブコメ映画、ロマンスドラマ、少女漫画を“女の”コンテンツだといつでも小馬鹿にしておきながら、実際、誰よりもその状況に飢えているのは男の方かもしれない。他人へ危害さえ加えなければご自由にどうぞと言いたいところだが、その華麗なる妄想をリアルな女性に求めるから問題になり、被害者が生まれるのだ。
アルバイト、会社、学校、習い事の場などなど。ああ、男たちよ、
お願いだから淡い期待なんかやめて、仕事だけ、勉強だけしようぜ。
恋愛成就なんてありえないから。少なくとも、あなたとは。
エピローグ
そして、またエピローグにも彼女の意思の強さがうかがえる。この漫画を発表しても、何も変化を作れないじゃないか?という自責の念。そのことに申し訳ないと感じている様子。明らかにこれを手にした「韓国男性」を意識している。
一般的に、“女が、女は”という言葉は行動を制限する時に使われ、“男が、男は”という言葉は行動を都合よく弁解する時に使われるという。
たとえば、次のようなことだ。
“女が、女は….”
・女がそんな服を着て、はしたない。
・女は大声で笑うもんじゃないよ。
・女がぬけぬけと、何様のつもりだ。
“男が、男は.……”
・男が何かにチャレンジするのだ、失敗することもあるだろう。
・男は本来、そういう生き物さ。
・男ならそんなこともあり得るだろう。
自分の股間にオチンコがついていて、申し訳ない気持ちになってきます。
訳者との対話
訳者あとがきも面白い。作者に「連載を始めた頃と比べて、韓国においての女性の置かれている立場に変化はありましたか?」と尋ねて、
「良くなったとは言えないが、おかしいと声を上げる人が増えた点では大きく変化したと思う」
と言われている。
だが、一方で女性の声が大きくなるにつれ、男性側の反発する声もまた大きくなっていると言う。例えば 15 年前に BoA が「女という枠を押し付けないで」と歌った『Girls On Top』のような歌を今、TWICE が歌ったら確実にバッシングされるはずと分析している。
岡崎暢子(訳者)
これが、残念。日本との違いはここで出た。男性の反発は日本では出ない。古い男性の心根にあり続けても、表面化はしない。させづらい。
あ。
いや。
違うな。日本も同じか。そういや地方の放送局で、産休に入る女子アナに
「最近、産休から戻って働くといってたのに、都合でそのまま退職する女子アナが増えているので、困っています。ちゃんと言った通りに戻ってくるように」
と言ってるらしいしな。女子アナに相談された記憶。「宮川さんどう思います?」
僕はこう答えたよ。
いつ、どういう場で、誰から言われたのかをメモしておきなさい。裁判で必ず役に立つから。そしてなるたけ早く、ここをやめたほうがいい。ここは本当にうんこだよ。
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