蛭子能収さんが認知症を患っているのはどうやら本当のようだ。
御年72歳の蛭子能収さんは漫画家です。覚えてるけど、東京乾電池に柄本明さんが面白がってずっと出てて、そのまま乾電池オフィスに入った時期。あの頃の乾電池も面白かったし、岩松了さんから始まる静かな演劇ブームのずーっと前の渋谷ジァンジァンの頃から面白かった。
映画だと「下落合焼き鳥ムービー」の柄本さんとかサイコーだよね。ちなみに渋谷ジァンジァンには柄本さんが蹴って穴が開いた柱がそのまま使われていた記憶。コント公演をやらせてもらった時はうれしかったし、実際、その柱の穴を見て感動したのを覚えてる。
そういや、21歳の時に東京乾電池の芝居に出たな、僕。紀伊國屋ホールの楽屋で出番前の高田純次を起こしてたな。大好きな転位21の山崎哲の「まことむすびの事件」だ。若手足りないから宮川来い!と日高舞台照明の日高さんから呼ばれたんだ。
その時に乾電池の劇団員だった女性が、数十年後に僕のラジオ番組に蛭子サンがゲスト出演してくれた時にマネジャーとしてついてきてて猛烈懐かしかった記憶。閑話休題。
蛭子さんの認知症
8月4日の記事。
「認知症と診断されたからといって、オレの中で何かが変わったということはありません。いきなりすべてわからなくなったわけでもないし、オレはオレのまま。いつもどおりの毎日が続いているような感じなんですけどね」
女性自身(ヤフーニュース)
これは3年前のお正月。2017年1月2日。
「実は、6月放送の第23弾のあと、太川さんに相談しに行ったんです。『体と頭がキツい、もう辞めたい』って。そのときは、何を言われるかとヒヤヒヤしていたんですが、太川さんは『僕も25弾で終わるのが、キリがいいなと思っていました』とオレをいたわってくれたんです。そして、一緒に番組を『卒業したい』と−−。“戦友”として気を使ってくれたのだと思いましたね。最近では、別の旅番組でロケに行くと、現地の人に『あれ、太川さんは?』と言われることがあるんです。太川さんはどう思うかわかりませんが、オレは、ちょっとうれしかったりします(涙)」
女性自身
アイデンティティは漫画家
本人の職業は漫画家なんだけど、テレビなどマスメディアで目立つと「テレビの人」にされちゃうし、「タレント」に自動的にされちゃう。
僕もとあるテレビ出た時に「肩書きラジオパーソナリティでいいですか」っていわれて面倒だから「はい」って言ったもんな。(その方がいいんでしょ?ってことね)
その蛭子能収さんの漫画家時代を当然知ってる仲間たちは、タレント蛭子能収をどう思っていたのかは想像にたやすい。
その中で、僕が大好きな根本敬サンが友情あふれるツイートをしていて気持ちがとても温かくなる。本当に素敵な関係だ。
芸能の仕事を全て投げ出すのは現実的ではないが出来る事からやっていくしかない。蛭子さんに100号200号サイズの説明をして50号くらいから描いてみたらと提案。大丈夫かな俺と弱気になったりもしたがこの機会に描き始めるそう。最後「持つべきものは友やね」とらしからぬ一言が御大の口から出て驚いた pic.twitter.com/40NAiz3nEe
— 根本敬小売店 (@takashinemoto81) July 23, 2020
蛭子さんと電話で話していて芸能人というか人間としての自己評価が下がったいるのを感じた。でも蛭子さんに絵を描いて欲しいというファンは日本中にまだ沢山いるんだよと何度も言うと「えーそうなのぅ?」そうですよ沢山いるんですよと繰り返し強調すると段々元気になって行った。さあこれからだ!
根本敬さん
こちらの勝手ながら蛭子さんにおけるクロスロードのイメージは、80年「地獄に堕ちた教師ども」を出したあたり。サラリーマンを辞めて漫画家として独立出来なかったら長崎へ帰ろうとの決意したあの頃です。
— 根本敬小売店 (@takashinemoto81) July 24, 2020
この広告を目にした時にどうしても山本寛斎さん本人に見えず、蛭子能収さんが寛斎さんに扮しているように見えてしまっていました。 pic.twitter.com/qqwkA3FkKG
— 根本敬小売店 (@takashinemoto81) July 31, 2020
昼すぎてから、深大寺。参拝して、あんみつ。あんこが一番旨い????
— 蛭子能収(YoshikazuEbisu) (@ebisu_jp) August 13, 2020
深大寺の後、根本さんに会おうと電話したら、タイミング合わず。
またよろしくね〜。 pic.twitter.com/IXo2LbCrjs
蛭子御大が絵に向かうのは本気のようだ。(奥さんの後押しも大きい^_^ )添付は7年前いわくつきの@btfの時の写真だが『共作は手を抜く』と「だから根本敬と共作した時は手を抜いた」と「ひとりぼっちを笑うな」で明言。今回は勿論御大単独でキャンパスに向かいますその相談 pic.twitter.com/SzOvmiyPHp
— 根本敬小売店 (@takashinemoto81) August 13, 2020
蛭子能収御大と菅野修さん(両人とも70年代前半「ガロ」デビュー)が久々に会った時の心霊写真。もしかしてデジカメなりの説明はつくのかもしれないが心霊写真の方が夢がある。この時の両人の会話一致点『本当の友達なら30年に一度会えばいい』
— 根本敬小売店 (@takashinemoto81) August 17, 2020
そう思います。 pic.twitter.com/ShO72wgUCQ