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吉本興業タレントの税務申告漏れは、それでいい話

テレビタレントが誰かから入れ知恵されて節税で作った会社で、申告をしていなかった問題について。まぁ真正面から言えばアウトだけど、僕が個人的に「それでいい」と思う部分が大きく。

オモシロイ人がTVというものを通じて楽しませてくれているのであれば

タレントの中でも「芸人」と言われている人は所謂「お笑い芸人」と呼ばれる人たちであって、そもそもはネタで漫才やコントで名を上げてテレビで重用されるようになって有名人になってその後ネタはやらなくてもテレビでの持ち場を築いたり再構築したりを頑張るマスメディアを職場とする人たちの事だと思うのだけれど、かつては、演芸場にてネタを披露してギャラを貰っていた方であり、そういった方々は、散々ドイヒーな人格だったり素行だったり、ドイヒーな反社との密なる交際を続けていた人たちだったりしたのだと思うのです。

ヒドイからオモシロイ

僕のイメージでは、ヒドイから面白いという短絡的な図式があって。女癖が悪くて、博打が大好きで、酒に溺れ、裏街道での持ち場もしっかり足場が出来てるようなそんな昭和の芸人の典型パターン。それらは、そういう社会的に見ればダメだからこそ、面白いのであって、ダメな人だからこそ、そういう立場(=人生)を選べる思考回路がある、つまり選ばれた人達だと思っているのです。

酷くないのに面白い

酷くないのに面白い人たちがとても増えたのが平成です。優等生であったり、先輩風を吹かせない人達。女遊びをまるでしないタレントたち。そういった非常に平成的なタレントが主流となっていく中で、社会としてはとても健全なんだけど、なんだか「有名人養成ベルトコンベア」が熟成してしまった感があって、食い足りないと思っていたのね。

なのでそれでいいのかなと。

こうやればウケる。こうやれば仕事が増える。こうやればワイプで抜いて貰える。こうやれば共演者から好かれる。こうやれば営業に呼ばれやすい。そういった方程式の全てが解明されて極端な話、スタッフよりも熟知しているのがタレントであり、もう出演者にお任せするのが一番いいのではないか?というぐらい全包囲的に熟練されたのがテレビ出演者だと思われ。飲み屋で変な事をやってる人(=タモリ)を面白そうだからテレビに出してみようぜ!なんて流れは、もはやあり得ず。

今の無頼派ということ

かつての、昭和の、芸人気質ってものは、ギャンブル、酒、女、(そして反社)にドップリな人達。だが、今回の件のタレントは、それの「令和版」のお馬鹿さんという事でとても素晴らしいと感じたのです。そんなことさえもちゃんとやってないというのは「破天荒」な無頼派であって、見た目がイキってない(どころかちゃんと反省してるのも令和版)だけで、アウトローであることは変わりない。ルールなど無用なのだ。芸人にとって。俺がルールだ。この上無い非常識を堂々と数年間も続けてよくも平気でいられたものです。その無知文盲はワイドショーでは呆れられているようだが、賞賛に値する。極めて芸能人らしい。と感じた一件。

そもそも、有名人とは

自己顕示欲の塊なワケでしょう。目立ちたいワケですよね。そしてそれによりチヤホヤされたいわけなのではないのですか?知らないけど。有名レストランに有名タレントがダメージジーンズで現れて「さすが」と言われたとする。だが、それは「有名人だからそれは許される」だけであって、刺青のある暴力団がサウナの受付で制されても「るせーっ」と構わずズンズン中へ入っていくのと内容的に変わりは無い。


らしいからいい、と言うことだけではなく

ものの見方として、昭和の芸人さんが浮気や覚醒剤やギャンブルや借金を厭わなかった事で「らしさ」を醸していたのであれば、現代版は「無知のまま申告すらしない会社を立ち上げていた」という極めてコミカルな事なのです。

だが、それが芸人さんらしくていいですよね、という話だけではない。実際にそれでいい、その方がいい部分も多分にあるワケです。それは、そんな「税金」についての事など、考えもしないで「面白い事」だけを考え続けている方が、「浮世離れしたタレント」にはなれると思うし、夢を売る商売の人たちにはそうあって欲しいとも思う。

古舘伊知郎がパワポを知らなくて日本中をガッカリさせたけど、それは泉ピン子が銀行でお金を下ろす事も出来ないと語っていた話と同様に、夢を売る商売の人にはそうある事で一般人に雲上人と崇められる。節税をちゃんと出来るタレント、パワポでプレゼン資料をガンガン作れるブラインドタッチの古舘伊知郎、そういった人達はテレビでは面白くない人になっていたであろうし。乱暴な事を話すからテレビに出ている人、無知だからテレビに出ている人、いわゆる「つまんない大人」になっちゃわないままで居られる才能を持ち合わせた人にこそ楽しませて貰えるのだろうという気がしてならず。

対応は大変でしょうが

活動自粛ということだが、それはまぁそうせざるをえない世の中の温度があるわけで、とりわけガッツリ暴力団と密な関係を長きにわたって続けていたプロダクションとしては、仕方ない。個人的には変な人がもっといていいと思うし、いてほしい。そういうことでいえば、雑誌編集部に殴り込みをかけてもテレビで人気者であり続けるような人が現れれば面白いのになぁと。

個性の尊重

それは言ってみれば、個性の尊重であって、均一化の減衰を夢見る僕の思考。普通こうだよね、を充分理解して絶対にはみ出さない人ではなく、「この人は何をしでかすか解らないから面白そうだ」というドキドキするような表現者の登場は欲しい。

テレビでチンコだして干される人も、タレントを殴ってしまう人も、CM中に共演者をしめちゃう人も、なんだかどこを見回してもいなくなってしまった平和な令和。そこにはホンの少し個性の抹殺が真綿で首を絞めるかのように進んでいるようで寂しい。個性はあっていい筈です。

野月のような男もいていい

なので、日曜日(27日)に楽日を迎えるアトリエ公演「Wobble_Boy」の主人公「野月」のような男も、いておかしくはないし、いても決して変態扱いされるべきではない。のではないかなぁと。まぁ、何が言いたいかというと、席が若干あるので、日曜日の13時からの公演チケット「Wobble_Boy」をビタ店(http://v-mise.com)にてお買い求め下さいということです。

(テレビでバラエティを見る必要性を感じない世の中でもある)


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作成者: 宮川賢

何しろ、インプットを多くしないとアウトプットばかりだと枯渇しちゃうし、ヤバいのでまずは読書を。そのためにソロキャンプや旅行や仕事も頑張らないとなりません。なーむー。