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作品に罪はないという考え方

まるで遊べていないのでいよいよストレスが溜まってきた感じの宮川賢です。愛人欲しいです(汗)。
さて、色々あって、薬物はダメねって話ですが、ここ数日取り沙汰されるのが作品に罪はないという意見。

作品に罪はないのか?

 
勿論ないと思うよ。当たり前だね。だけれども、だから売るべき、という考え方はこれまた違うと僕は思う。
メジャーレーベルからリリースしたものとなれば、それは会社という組織を儲けさせる為のリリースなので、売れる事を考えないといけないし、売れる事を目的にしないとならない。

そして、売れる事を考えてものつくりと発表をしてもいいという作り手側と売る側のニーズが合致する部分が大きいから成り立つ関係ができあがり、それが出来上がったということは、その尺度において計られるのは仕方のないことなんじゃないかな。と思うのね。

勿論、色んな曲を聴きたいし、それを作った人がどうであれ、いい作品は沢山ある。だって、パンクバンドの曲なんて、破天荒であればあるほど魅力的に聞こえるしね。だから聴きたいし、聴ける状態になっていた方がいいとは思う。でも、販売停止とかリリースをやめるなんていうのは、レーベル側が「それを聴けないようにする」というのとはまた違う話かなと。

会社だから、犯罪者の作った作品を売って金稼いでるお前らってどうなんだ?と思われたくないからやめるわけであって、何でもかんでも儲けようとしてるんじゃねぇよ、と言われたくないから、言われたらその後の会社のイメージがよくないからなくなくやめるわけであって、売れるものなら売りたいさ。世論とかイメージとかだけでやめるだけの話ね。だから、「聞けなくしてやる」という意地悪ではないし、「売るべきではない」と判断したのではないと思うのね。

みんなが言ってるように、ジャンキーの曲聞いてるじゃん。聞きまくってるじゃん。ジャンキーだからいい曲作れてたじゃん、あの人たち。とかね。ガンジャやってるレゲエミュージシャン、みんな聞かない!ってなったらやだよね。

何ならよくて何ならダメなのか。

罪が全てよくないという事で言えば、立ち小便した作曲家のものはダメ? 不倫が背徳ならそれで情緒豊かな小説を紡いだ女流作家たちの書籍は? とかね。

今回の件でも、新井浩文は相手がある罪だから、それを慮ると撤収だべさ、というもので、瀧容疑者は相手がいないのだから、撤収すべきじゃない、という論点があるよね。鴻上さんも坂本教授も言ってるね。純粋に作品を作る人は、作品だけで判断してくれっていうのはとても解る。僕も強く思う。不倫が表沙汰になったアーティストが「俺を悪く言うのは構わないが作品を悪く言うのはやめてほしい」という事を言っていたのを思い出す。でもそれも都合がいい話で、どういう人であるかを解った上で、その人が作ってる曲だから素敵と感じる、等があるから、そうでなければ作品のイメージも悪くなっちゃうのは仕方ない。

どんな理由であっても、何かを理由にその人を好きでなくなり、その人の作品を好きでなくなるというのはありうる。
売るのをやめるのは正しい判断なのか?
といえば勿論それは解らない。というか売るのをやめないで欲しいとは思う。
だけど、正解は、売るのは辞めた方がいいな、と判断出来る立場はレーベルだけなのだから、そこが判断したのならそれは正解なんだろう。

あれはよくてなんでこれはダメなんだってのもあるだろうけど、こうやって「売るのやめとくかぁ」と考えねばならない程の社会的影響力が大きい人をロックオンして内偵を進めてきたワケだし、もしかしたらアニメの声やるまで待ってたかもしれない。人数と時間をかけて大変な作業をするわけだから、外すことは許されないし、元をとらないとならない。そうやって思うと、今回はちゃんと影響力大きく、黒字なんじゃないかな。

だからこそ、レコード会社は「やめとこか」となったワケで。それを「売るべきだ」と言うのはお門違いと思うのね。売るのをやめるというのは、「聴かないで欲しい」というのと違うからさ。

極悪非道な犯罪の犯人の書いた本を売ってる出版社があるでしょ。僕はああいった事をする出版社が嫌いでね。買っちゃうヤツはもっと嫌いでね。レコード会社はそういった「卑しい金儲けをしたくない」というだけであって、作品を軽んじてるのとはまた違う話だと思ってる。

そして、そういうのがイヤなのであれば、メジャーレーベルでやらなければいいのではないかと。

お前はどうなんだ?

お前はどう思ってるんだ?と何度もメンションで意見されたのでなんとなく大した事思ってないけど書いてみた。売る売らないは勝手でしょって事。他者が絡む限りは、色々な立場を一人称とした物の見方があるので、作品主体にした考え方だけでは語れないということ。

自分一人でやってる事以外は、ほんと、しょーがないと思う。ってこと。仕方ない。
例えば、売ったとしようよ。それで叩かれたとしようよ。誰が責任取るのか?って話さ。そうまでする価値がないからしないだけさ。と僕は思う。レーベルが売りたくないワケないじゃない。好きだからCD何枚も作っていたワケだし、誰よりも愛してる筈さ。金儲けを考えても売りたくないワケがない。トータルで見てるんだと思うよ。

僕も反省したことは。

んとね、ちょっと反省しなければならないのは、宮川賢MTで、逮捕された武盾一郎さんをゲストに迎えたんだな。捕まった時の話を聞いたんだな。美化したようにも聞こえるし、深層心理で美化していたような気がするんだ。特に、比較して、状況劇場の唐十郎夫妻の「ハネてから手錠掛けられて拍手で観客から見送られて連行された」話なんてのをしちゃった手前、今回うーんうーんと唸る事しきり。

そのことを反省せざるを得ないタイミングで。僕にしてみたら、唐十郎先生は空想の世界に近い雲上人。ルパン三世の悪党っぷりをカッチョイーって言ってるのと同義なんだけど、そうはいかないから。

まとめ。

なんだかんだ言って、作品は僕は沢山持ってるし、これからも石野卓球のアルバムは欠かさず買うし大好きだし、その辺りの事は何も変わらないし人に変えられる事はないし。そのイメージは誰も冒す事は出来ない。

あの頃聞いた電グルのオールナイトニッポンは面白かったなぁ。という思い出は圧倒的な記憶として僕らの中にあり続けるし、それでいいじゃないかって事さ。
永六輔さんが亡くなった時より、永さんの番組が終わったことの方がショックだった人は多いんじゃないかな。作品ってそういうことだと思うし。

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作成者: 宮川賢

何しろ、インプットを多くしないとアウトプットばかりだと枯渇しちゃうし、ヤバいのでまずは読書を。そのためにソロキャンプや旅行や仕事も頑張らないとなりません。なーむー。