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あんなに暖かかったのに、雪?

ゴールデンウィークに秋田に帰省しまして。晴れてて気持ちよく。タラの芽の天ぷらが美味しい記憶。

墓参り

秋田の西仙北という、とても自然豊かな、言ってみればザ田舎!という場所。過去にラジオ局のお偉いさんと酒飲んだ時に、

彼「お前の女房の実家はどこなんだ」
僕「秋田の仙北郡です」
彼「ええええっ! 日本一のド田舎じゃねぇかよ。それは良いなぁ」

というやりとりをしたことがあります。
それにより「ほお、そういう所なのかぁ」と。

まぁ、そうやって考えれば、都会で生まれ育った自分は、その田舎で生まれ育った女性に惹かれたとしてもおかしくはないですよね。

実際に、老後は自然豊かな所で過ごしたいなぁと夢想するしね。

で、今回は墓参り。に行きました。義父の。三回忌に行けなかったので。コロナでね。ようやく手を合わせられた。良かった。遅れてごめんなさい、お義父さん。

body of water between green leaf trees
Photo by Ian Turnell on Pexels.com

田舎で暮らす事

ここに行く度に思うのは、猛烈に自然が素敵なので、ここで生活をしているというだけで、体によさそうな気がするのね。人が少ないし、うるさくない。勿論、面倒なことは多いと思うよ。町内会であったり、狭い人間関係であったり。噂話であったり、病院が遠いであったり。

だが、それらを補ってあまりある自然の魅力が半端じゃなく。

では、そこで暮らすとなるとどうだろう。と時折考える。実際、何度も考えた事がある。結局、女房は山での老後は嫌だと数十年前から言っていたので、自然に囲まれて暮らすとすれば、自分一人か、夫婦二人でとなれば、海や川の近くということになるのか、とは漠然と考えていた。

だが、この秋田の実家は雪が多いし大変。いちいち大変らしい。そりゃそうだ。秋田だもの。日照時間が日本で一番短いんだぜ。

おそらく、相当なる覚悟がないと無理なのだろうとおもう。行ってみて素敵!と思う所は、「たまにいくから素敵」であって、住むとなると大違い。なので、なんだか難しい話なのだろう。

では、自然に囲まれられない?

では、自然に囲まれて暮らすという夢は、「ホントの夢のまま」終わるのか?

そんな気もする。うーむ。だって、老後ってのは仕事をやらなくなってから、ってことでしょう。ということは、結構な年齢だし、体も弱っているでしょう。僕はやたらと優しくて面倒見のいい長身女性に介護されながらその人の内ももを触る機会をうかがいながら結局触ることさえ出来ずに死んでいくのが夢なのだが、そんなことはさておいても、そもそも引っ越し出来るのか?

という問題がある。子供を置いて。家をどうする?親はどうする?ん?

色々考えちゃうよね。で、ちゃんと自然に囲まれて暮らしたいというのであれば、ロケハンをして、実際の生活をシミュレートしてみて、人間関係を作って、自分が「そんなの知らなかったよぉ」ということにならないように必要と思われるものが全てそろっているのか? そうではないのか?等を理解した上で臨まねばならない。

例えば図書館。喫茶店。本屋。食材を買いたい場所。病院。介護施設。そしてネット環境。映画館。芝居小屋。ライブハウス。何よりよそ者ウェルカムな場所なんてなさそうだから、孤立していくなかでの覚悟も必要だし、とはいえ、こちらから新参者としては歩み寄らねばならないし。バイク屋。熱帯魚ショップ。床屋。大型量販店は無理でもある程度料理は作りたい。

準備をどのぐらいの程度ですればいいのかがまるで読めない。そうやって考えると、モタモタしていると無理なのではないか?ということが理解できる。

親の介護問題ね

両親が東京で暮らしてるとなると、もしこのまま老人ホームに入ってくれたとて、必ず呼び出しはあるだろうから、離れてしまうワケにはいかない。

近々、政国燦多朗ch.で老人ホーム見学備忘録が公開しますが、そこで語ったように、「入れっぱなしはあり得ません」というのが常識で、覚悟しなければならない家族の心得。

そう考えると、親が老人ホームにいるならば、離れづらいよね。無理でしょ。弟まだガンガン働いてるし。俺がいなきゃ。とほほ。

そうなると、ここで不謹慎な話になってくる。親が死んだら考えよう。なんてことだよ。そうなると早く死なないかなぁとかになってきちゃいそうで、そりゃクソなので、もはや今の段階で自然に囲まれて暮らしたいなぁというのはただの「夢想」ということに決着しました。

老後の予定なんざ当てにならん

老後どころか、人生なんてものは、どれだけ計算づくで考えて準備しておいても、その通りになんかいくわけがない。

金の準備や精神の用意をしたところで、予想外な事が起こるから人生は楽しいのであって、決まった通りのことしか起きないのなら、それは人生とはもはや言えない。

ということは、計画的に動くというのは「あくまでここ一年程度」の話が最長といえるだろう。

あくまで二、三日先の事を予測しながら動くのがいいだろう。目の前に霧がある路を歩み続けるのが人生だと腹をくくって潔くなるのが良いのだろうね。

なので、俺は、今日、内ももを触らせてくれる女性との出会いをわくわくして待ちながら、歩く吉祥寺の町中で美人を見かける度に「ああ、あの人が今から数時間後に色々な事情で僕に内ももを触らせてくれる人になっているかもしれないんだな。うふふ」と胸躍らせて、

まずは銀行に行って、振り込みとか雑務こなすことにするよ、サー・トービー(「十二夜」シェイクスピアより)。それがいいよ。あの恋はどうなった? 白紙のままです、サー・トービー。

高知いいよね!
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作成者: 宮川賢

何しろ、インプットを多くしないとアウトプットばかりだと枯渇しちゃうし、ヤバいのでまずは読書を。そのためにソロキャンプや旅行や仕事も頑張らないとなりません。なーむー。