もの凄く怒っている。そうとしか思えない抗議が偕成社のホームページに載った。社長の言葉だ。
「はらぺこあおむし」
「はらぺこあおむし」の作者のエリック・カールさんの他界を「偲ぶ」という形を借りて(それをあくまでも大義名分としただけで)IOCへの批判を痛烈にカマした。
ボードブック はらぺこあおむし (偕成社・ボードブック) [ エリック・カール ] 価格:990円 |
「風刺漫画のあり方について」
というタイトルで、掲載された社長の抗議文の書き出しはこうだ。
6月5日毎日新聞朝刊の「経世済民術」という風刺漫画のコーナーに「エリック・カールさんを偲んで はらぺこIOC 食べまくる物語」と題してはらぺこあおむしに擬したバッハ会長以下IOCメンバーの似顔絵が掲げられました。「放映権」というリンゴをむさぼっている図です。
偕成社のホームページ
風刺の難しさ
風刺の難しさは、洋の東西と時代を問わない。記憶に新しいのはシャルリー・エブド襲撃事件。
姿が見えるタレントとの違い
たとえばビートたけしさんが、色々な方面に毒づいても、それは必ず笑える範囲を超えない。面白いから。というのと、たけしサンが「そこに姿を現している」からだ。逃げもせずに、「私が言った」と誰もが解るから。
そして、同時に、その「人」が言った事により「その人の性格」を思えば仕方ない、と許される要素になる。その「許容量」を少しずつ広げていく作業が、マスメディアの表方には求められるし、失敗すれば叩かれる。
では、タレントではなく出版、活字においてはどうか?
能町みね子サン。文筆活動してるけど、既に顔出てるよね。知ってる人。筒井康隆。ブラックといえばこの人。だが有名過ぎる。山藤章二のブラックアングル。勿論、名前も顔も有名人。テレビラジオに八面六臂の活躍した方。他にも顔と名前が一致する活字人は除いて考えよう。
となると……?
そう。シャルリー・エブドにしても、毎日新聞にしても、「組織」となれば、顔が見えづらい。勿論、書いている人たちは、「隠れている」つもりは毛頭無い。実際、このイラストも作者の名前が記してある。
でも、
たけしサンが言うんだから仕方ない
マムシさんが言う「ババア」は愛情
といった評価はされない。そういう意味でいえば、「叩かれやすい」というのもある。だろうね。
目くじら立てない姿勢
目くじらを立てないという考え方もある。勿論ね。つまり、今までも、毎日新聞に限らず、色々な所で風刺されて「うーむ」と唸るような、つまり「ちょっと腹立つけど、これに目くじら立てるのも、なんか違うかなぁ」「これに怒った方が問題にされそうでいやだなぁ」と言う事で遠慮してきた事が多かったのだろう。それが風刺というものだ。
なぜなら、風刺というものは、そういう「毒」を包含するものである事を誰もが知っているし、このイラストにしても「要はIOCをコケにしたいだけ」ということは誰の目にも明らかだ。
では、なぜ、スルー出来なかったのか?
偲ぶ
という事に怒り心頭に発したのだ。
ふざけんなよ。と。偕成社としては「エリック・カールの死」という、会社全体が沈むぐらい悲しい報せを茶化された事に対しての、社員全員を代表しての社長の言葉なのだ。
そうしないと収まらないぐらい、社員全員が怒っている。そういう人だったのだ、エリック・カール氏は。エリックさんの死をふざけられ、作品を冒涜され、許しがたい怒りがあの文章に至った。怒りを抑え付けながら、絶対に許されない、という視点を提示した。
風刺には泣き寝入りしなくていい。腹立てば文句を言うべきだ。
二重被爆
広島で被爆して、そのまま移動して長崎でも被爆した人「二重被爆」を経験した人が何人かいる。その人たちをどこかの国のスタンダップコメディアンが「なんて運の悪い奴だっ?!」とネタにして笑いを取った。それに対して、日本政府が抗議した。
ソレで宜しい。そういうことだ。
マスコミ人としてどう思うか?
では、今回の件をマスコミの人間の立場に立ってみた場合、どう思うだろうか? どう処理するだろうか?
そもそも、王貞治の顔をモチーフにした「王ッシュレット」という名のウォッシュレットをセットで作って、コントを放送した番組は、王貞治側から抗議を受けた。
ということは、
エリック・カール
王貞治
偉人だから怒られるのか? いや、そういう事ではないだろう。怒る側には自由がある。
では、怒られる側に立つとどうか。
「あー、しょーがないっか」と諦めるような気もする。「やっちゃったぁ」てな具合か。つまりあまり反省はしない。新聞なのだから「その時掲載する意味」があるものを選ぶよね。そうでなければ新聞ではないからね。
そして、あ、エリック・カールが死んだ。ということは! おお、アオムシ、IOC。おお、音が似てる。いただきだぜ!
ということだと思われ。文句さえ来なければそれで良かった、ということだろう。
表現するリスク
何かを表現する場合、必ず、リスクがつきまとう。叱られる事もあれば、訴えられる事もある。僕も劇団の公演とか放送での発言で「内容証明」を送りつけられた事は何度かある。都度、家族はビビって可哀想だったけれどね(笑)。
つまり、この抗議を「税金」とか「経費」という見方をするのか、それとも、また別の機会に同じような事がないように「気をつけよう」という反省に至るのか? でいえば、毎日新聞は、なさそうな気がする。なんとなくね。なぜなら、法に触れているワケではないのでね。
そして、シャルリー・エブドのように襲撃されていないのでね。つまり、損害請求もされていなければ、法の下で裁かれてもいない。つまり、今の段階では、話題になった(炎上した)だけで、何も起きていないに等しいからだ。
そう。ただ、
私たちは怒ったよ
と言われただけなのだ。