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偕成社社長怒りの抗議「風刺漫画」

もの凄く怒っている。そうとしか思えない抗議が偕成社のホームページに載った。社長の言葉だ。

「はらぺこあおむし」

「はらぺこあおむし」の作者のエリック・カールさんの他界を「偲ぶ」という形を借りて(それをあくまでも大義名分としただけで)IOCへの批判を痛烈にカマした。

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「風刺漫画のあり方について」

というタイトルで、掲載された社長の抗議文の書き出しはこうだ。

6月5日毎日新聞朝刊の「経世済民術」という風刺漫画のコーナーに「エリック・カールさんを偲んで はらぺこIOC 食べまくる物語」と題してはらぺこあおむしに擬したバッハ会長以下IOCメンバーの似顔絵が掲げられました。「放映権」というリンゴをむさぼっている図です。

偕成社のホームページ
炎上となった風刺画。

風刺の難しさ

風刺の難しさは、洋の東西と時代を問わない。記憶に新しいのはシャルリー・エブド襲撃事件。

宗教が絡むとそれはやはり怒りを買って仕方ない。だが。……だ。

姿が見えるタレントとの違い

たとえばビートたけしさんが、色々な方面に毒づいても、それは必ず笑える範囲を超えない。面白いから。というのと、たけしサンが「そこに姿を現している」からだ。逃げもせずに、「私が言った」と誰もが解るから。

そして、同時に、その「人」が言った事により「その人の性格」を思えば仕方ない、と許される要素になる。その「許容量」を少しずつ広げていく作業が、マスメディアの表方には求められるし、失敗すれば叩かれる。

では、タレントではなく出版、活字においてはどうか?

能町みね子サン。文筆活動してるけど、既に顔出てるよね。知ってる人。筒井康隆。ブラックといえばこの人。だが有名過ぎる。山藤章二のブラックアングル。勿論、名前も顔も有名人。テレビラジオに八面六臂の活躍した方。他にも顔と名前が一致する活字人は除いて考えよう。

となると……?

そう。シャルリー・エブドにしても、毎日新聞にしても、「組織」となれば、顔が見えづらい。勿論、書いている人たちは、「隠れている」つもりは毛頭無い。実際、このイラストも作者の名前が記してある。

でも、

たけしサンが言うんだから仕方ない

マムシさんが言う「ババア」は愛情

といった評価はされない。そういう意味でいえば、「叩かれやすい」というのもある。だろうね。

目くじら立てない姿勢

目くじらを立てないという考え方もある。勿論ね。つまり、今までも、毎日新聞に限らず、色々な所で風刺されて「うーむ」と唸るような、つまり「ちょっと腹立つけど、これに目くじら立てるのも、なんか違うかなぁ」「これに怒った方が問題にされそうでいやだなぁ」と言う事で遠慮してきた事が多かったのだろう。それが風刺というものだ。

なぜなら、風刺というものは、そういう「毒」を包含するものである事を誰もが知っているし、このイラストにしても「要はIOCをコケにしたいだけ」ということは誰の目にも明らかだ。

では、なぜ、スルー出来なかったのか?

偲ぶ

という事に怒り心頭に発したのだ。
ふざけんなよ。と。偕成社としては「エリック・カールの死」という、会社全体が沈むぐらい悲しい報せを茶化された事に対しての、社員全員を代表しての社長の言葉なのだ。

そうしないと収まらないぐらい、社員全員が怒っている。そういう人だったのだ、エリック・カール氏は。エリックさんの死をふざけられ、作品を冒涜され、許しがたい怒りがあの文章に至った。怒りを抑え付けながら、絶対に許されない、という視点を提示した。

風刺には泣き寝入りしなくていい。腹立てば文句を言うべきだ。

二重被爆

広島で被爆して、そのまま移動して長崎でも被爆した人「二重被爆」を経験した人が何人かいる。その人たちをどこかの国のスタンダップコメディアンが「なんて運の悪い奴だっ?!」とネタにして笑いを取った。それに対して、日本政府が抗議した。

ソレで宜しい。そういうことだ。

マスコミ人としてどう思うか?

では、今回の件をマスコミの人間の立場に立ってみた場合、どう思うだろうか? どう処理するだろうか?

そもそも、王貞治の顔をモチーフにした「王ッシュレット」という名のウォッシュレットをセットで作って、コントを放送した番組は、王貞治側から抗議を受けた。

ということは、

エリック・カール
王貞治


偉人だから怒られるのか? いや、そういう事ではないだろう。怒る側には自由がある。

では、怒られる側に立つとどうか。

「あー、しょーがないっか」と諦めるような気もする。「やっちゃったぁ」てな具合か。つまりあまり反省はしない。新聞なのだから「その時掲載する意味」があるものを選ぶよね。そうでなければ新聞ではないからね。

そして、あ、エリック・カールが死んだ。ということは! おお、アオムシ、IOC。おお、音が似てる。いただきだぜ!

ということだと思われ。文句さえ来なければそれで良かった、ということだろう。

表現するリスク

何かを表現する場合、必ず、リスクがつきまとう。叱られる事もあれば、訴えられる事もある。僕も劇団の公演とか放送での発言で「内容証明」を送りつけられた事は何度かある。都度、家族はビビって可哀想だったけれどね(笑)。

つまり、この抗議を「税金」とか「経費」という見方をするのか、それとも、また別の機会に同じような事がないように「気をつけよう」という反省に至るのか? でいえば、毎日新聞は、なさそうな気がする。なんとなくね。なぜなら、法に触れているワケではないのでね。

そして、シャルリー・エブドのように襲撃されていないのでね。つまり、損害請求もされていなければ、法の下で裁かれてもいない。つまり、今の段階では、話題になった(炎上した)だけで、何も起きていないに等しいからだ。

そう。ただ、

私たちは怒ったよ

と言われただけなのだ。

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作成者: 宮川賢

何しろ、インプットを多くしないとアウトプットばかりだと枯渇しちゃうし、ヤバいのでまずは読書を。そのためにソロキャンプや旅行や仕事も頑張らないとなりません。なーむー。