性別( 男 ・ 女 )と、選択する欄が、記入する形の空欄になった。つまり、どうとでも書ける。
署名が集まった
履歴書で、男か女かを選ばされるというのは、ジェンダー告白を迫っている、と。そりゃそうだ。だが、性別を知る必要はないのか? あるのか?
知っておいた方がいいけど、
だが、知る必要は、仕事面においてはないはずだ。なぜなら、女だから採るというのは、「女性社員の数を増やさないとね」という理由だろうから。
とはいえ、知らないまま採用してもいいのだろうか?
じゃあ、年齢は?
ならば、年齢はどうなのだろう? 美輪明宏さんの言う通り、「数字」に一喜一憂するのはバカみたい。という事でいいのだろうか。
それもどうかと思う。
突破力のある新規事業を立ち上げて欲しい、という時に、中年以上の社員には向いていない、なんて評価があるからだ。
だが、それも偏見であり。
となると。年齢も性別も仕事をする上で必要ないのか?
そういうワケでもない。だって、リモートであっても、ZOOMで顔を見るし、得意先と名刺交換もする。となると、顔を見ることになる。
第一次試験、書類審査の段階のみ不要
選ばれる時の基準にならなければいいだけの話。
つまり、「女だから書類選考通しておこう」ということにならなければいいということになる。写真も要らない。これまた「偏見助長の温床」だった要素。だって、
美人だよ!
でときめくよね。バカエロオヤジはね。写真要らん。
だが、確実に面接で会うよね。その時に、性別はかなりの確率で理解されちゃうけれど。
それでいい。
考えかたとしては、それでいいらしい。
つまり、書類審査を通過すれば、面接で会う段階になると「性別がどうこうよりも」
能力を中心にみる
からだ。つまり最初の審査を通過した後であれば、性別が合否に及ぼす影響は激減していると。しかし、裏を返せば、
書類審査だったり、第一次試験であったりは、性別がなんとなくイメージをつけているということ。不平等なバイアスがかかっているということ。
さば読み
前に、僕の劇団でもオーディションに24歳として受験して、合格した女優が入団して芝居を数本やった後に、
実は33歳です。
って言ってた女優がいた。それはそれで爆笑したけれどね。無問題さ。