平均が好きな日本人が嫌いな僕ですが、平均を目指す事を自虐的に楽しむようになって早十年経ちます。
平均寿命よりも長生きする人が多い
平均寿命の算出方法。その年の各年齢ごとの死亡率から算出するらしい。
10万人が生まれたとして0歳から1歳になれた人となれなかった人(死んだ人)がいて、そこでまず0歳の死亡率が出る。更に1歳の死亡率を掛けて、そんでもって2歳になれた人の中で2歳の死亡率を掛けて……を繰り返して105歳で全員が死亡したと仮定して出された簡易生命表がもとになってるらしい。
そうなると、
年齢×死亡者数
で年齢ごとの小計を計算して、その和(生存年数の合計)を人数(10万人)で割った数字。となり、それが平均値として、
男80.98歳
女87.13歳
となる。これが平均寿命だそうな。
だから、雑誌「プレジデント」のこの挿絵のように、平均寿命よりも多く生きる人がドエレー多い事になる。
平均値・中央値・最頻値
だが、統計って奴の中では、代表値ってのがあって、この代表値ってのは、
- 平均値
- 中央値
- 最頻値
ってのがある。つまり、平均値はあくまで平均値であって、ただの一つの代表値にすぎない。
なのに、平均値って奴が、なんだか日本人の頭の中を支配していて、そこにいると「落ち着く」し、そこに至らないと「敗北感」であり「焦り」も感じ、それ以上だと「得した気分」でいるよね。
平均値の出し方の問題よりも、もっと問題視すべきはこの無個性大好きな国民性ね。
没個性の美徳が嫌い(もはや生理的に)
どうして、日本は人と同じだと嬉しいの?
自分の子供を人と同じにしてやろうと思う親の気持ち。
スマホを子供に持たせる親。塾に通わせる親。友達が通ってるからとピアノに通わせる親。
友達が持ってるバッグを自分も欲しがる女子。みんなと同じがホントに大好き。
それを一番端的に表してるのがツービートの「赤信号みんなで渡れば怖くない」だと思うのね。実際そうなんだものね。それが正しいとか正しくないとかの判断よりも、みんなも犯してるからいーや!てな感じで。
自分の中に正義感がなくて、同じであることで安心するオタンコナス。
アメリカは好きじゃない国の代表格だけど、それでも魅力的な部分は沢山あって。
とりわけ色んな人がいて当たり前という考え方が浸透してるのが素敵で。
そうやって考えると、まだゲイや同性愛者に偏見を持つ人がいそうな雰囲気で、フェティッシュを変態扱いしちゃう雰囲気で、スマホを持ってない人を叱る雰囲気が、んもー、ほんとイヤで。
まとめ
まぁ、何が言いたいかというと、漫画家桃吐マキル先生から「携帯解約したぜ!」ってメールがPCに届いて「いいぞいいぞ!」って思ったって事さ。「あー、スッキリしたーっ!」って書いてあってニヤニヤしちゃった。俺より随分若いのにおもしれーなぁってね。そーいやヌードモデルのマロンも携帯持ってないって言ってたっけ。俺は女子で携帯持ってない人が大好き。だけど、携帯持ってないから口説けないし誘えない。
男でテレビ持ってない人の7割は「それがカッコイイと思ってて、それを吹聴したくってテレビを持ってないでいる人」なので(笑)、断捨離って概念で言えば、僕が深爪大好きでスキンヘッド大好きでブラジリアンワックス大好きなのも数百冊の本を一気に古本屋に出した感動も含めてそんなのイッコも比較にならないぐらい「携帯持たない女子」はイカすなぁと思ったワケさ。
しかも、それは「平均的なものを愛して落ち着く」のがイヤだという事での解約でない所も純粋に素敵でね。
もっと個性的な人たちが増えればいいと思うよ。そしてそれを変わり者扱いしない人たちが増えればいいと思うよ。
(とはいえ、冒頭で書いたように平均的な事を好んで自虐的にやってみる生活を始めてから十年以上経つけどね。敢えて無個性な事を始めたりしてる事に小市民的な右派ポピュリズムを感じてるよ嘘テキトー)