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前歴0への道

(#124)Invalids

俺は乗らないライダー!
No Run ! Night-Rider!
女房が風邪をひいたので、台所に立つと
腰が痛くなるぜライダー!
腰が痛いとバイクに乗った日のような感覚なので
乗れない俺はそれだけで嬉しいぜライダー!


Invalidsというマスロックprj.のアルバムを買った。面白いなぁ。演奏してる自分と演奏しない自分を共演させてアルバムを作る。不思議な世界観が生まれる。これやっぱ緑の先のアルバムも買っておけばヨカッタなぁ。ポップなプログレ。変態ギター。なのに心地よい。ふぅ。
秋葉原事件の死刑が確定。このタイミングだと人が人を裁くこと、人が人の命を「自分たちのルールに則って奪うこと」について考えざるを得ない。後藤健二さんの命が奪われた事について考える事にもなる。ルールはその場所でのみ正しい事であり、その場所の秩序を守る為に必要なもので本当に正しいかどうかは解らない。暫定的にルールを決めてそれが「正しい」と策定しただけにすぎない。という風に考えると人の命をルールで奪う事は根っこが等しいのか?なんてことを考えてしまう。勿論、全然違うよ。全く違うし、一緒にすんな!と怒る人もいるでしょう。僕も一緒とはまるで思ってない。しかし、ハンナ・アーレントのような気分でふと思ってしまった次第。
仕事でやってる番組でも喋ったけど、自己責任という言葉がとても嫌いになった数日間だった。元々僕の印象だと、自己責任というのは「自作パソコン」を組み立てる時にしか使わなかった。自作パソコンつまりDOS/V用語のようなイメージだった。自己責任。パーツとパーツの相性でもし立ち上がらなかったとしても「自己責任」という風に使う。
それがどうだろう。この度、「行く人が悪い」のような言い方に辟易したよね。後藤さんだって「全ての責任は自分にある」と言って出かけたワケだし。それに対してそれはないよ。西部警察ってドラマでよく強面が部長刑事に向かって「自分の責任です!」と言っていたけど、そこを立ち去ろうとするその刑事に対して「待て」と呼び止めて「は? なんでしょう」に対して「いいか。これはお前の責任だ」と改めて言うようなもので、無意味を越えた侮辱でしょ。
自己責任って言葉が持つものは「自分は悪くないし、自分は何もしないのは仕方ない」「自分は無力だけどそれでいい」と言っているような感じで唸ってしまう。
被災者に対して「海沿いに住んでる自分の責任だ」「津波に襲われる覚悟がないなら都会に引っ越すべきだ」「それをしなかったあなた方の責任だ」と言っていると同じで、今回この嫌な言葉を使う人たちは、それに気づいていない。
電車で老人に席を譲る。譲る必要はない。何故なら、老人はそれまでの人生でお抱え運転手を雇って車の後部座席にふんぞり返っていられる蓄えと社会的立場を築けなかった自己責任なのだから…と言ってしまったらどうだろう? 指定席を買えない貧乏は自分が招いた自己責任なのだから、立っててしかるべきだ…と言ってしまったらどうだろう?
仕事で失敗した人がホームレスになる。その前に生活保護を受ける。もしや自己責任なんだから、受ける必要がない? そういうこっちゃないでしょ? 全てを自己責任と言うなら自治体も要らないし政府も要らなくなっちゃうような気さえする。
ここでハッキリ言うと、この手の事は喋ってはいけない。この手のことについて当事者でもないのに(まして責任の話なんて)してはいけない。と思う。看過しづらいけど、何か意見を言うならば、それが意味と目的を持ってなされるべきだと思う。僕はなんとかして後藤さんに生きて返ってきて欲しかったから、「I am Kenji」をフェイスブックにアップしたし、それは政府を叩く材料として一緒くたにされてしまうかもしれないとも思ったけど、その繋がりの流れが少しでもジハーディ・ジョンの元へ届き「やめといた方がいいのでは?」と正気に引き戻す事に繋がるかもしれないらそうしていただけで、目的は「ただ祈りたい」という自己完結ではない。という行為は別にしても論議に話を戻すと、論議はしない方がいい。何度もいうが目的がないのならば余計に。3/11の「不謹慎」という言葉の乱高下を散々体験したではないか。
だが、僕が発言するのはラジオで生放送をしている立場であり、その生放送では「ふざける」ことが「明るく振る舞う」事が持ち場だからだ。だからといって、ラジオなのだから言える時には言わないと。これだけ情報が入り乱れていつつも「偏向意見」も錯綜しているワケだから、見たモノ聞いたモノが情報源であり、つまり「一億総偏向意見」の今回だけど、それでも(つまり自分が偏っていると自覚していても)ラジオでは本音を喋らないとならない。それが仕事だからね。でも、番組のテイスト上、喋れない場合も多く。となると「なぜ喋れない?」であったり「どう思ってるの?」の問いが続く。立て続けに。それにネットでつまりブログやツイッターで答える事によって「放送で触れない」事をフォローしていたような形。
3/11の時もそうだったけど、「活動を控える」事が出来ないのが日々の放送であり、放送がある限り逃げられないので、こうなってしまう。しっかり調べてられていないこと、しっかりと自分の意見がまとまっていない事についても語らないとならない。今回は特にその辺りも含めて申し訳なかったなぁと思う。
湯川さんと後藤さんのご冥福をお祈りします。
そして、即座に動画を削除して我々の目に触れないようにしてくれたYoutubeに感謝します。探せば別の兵士が惨殺されている動画も出てくるし、ドネツクの戦闘動画も日々アップされている。世の中の恐ろしい事はとても身近にある。動画を削除して貰えても、そのことは強く思っておかないと。3/11の時に「遺体が映り込んでいるカット」を削除する編集マンが精神病になってしまった事が意味するものは「忘れてしまっていいのだ」ということでは決してない。
追補
日本人は次次に殺されるんですか?との質問も貰ったけど、僕も考えてみたけど、行かなければそれほど心配はないのではと思っている。英米、オーストラリア、カナダ、色々な所で自爆テロが起きているので、ついに日本でも東京でもそういうのが始まるかぁなんて思ったけど、イスラム過激派は国内にはおらず、入国もしづらいので、「今のところは」大丈夫だと思うことにしました。
俺は乗らないライダー!
No Run ! Night-Rider!
人は平等で命の甲乙はない
教わったばかりなのに死刑が確定して
複雑な気持ちだぜライダー!

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「(#124)Invalids」への2件の返信

私も自己責任論には与しませんね。
責任論はともかく置いておいて、海外で同胞が囚われ危機に瀕していることに目を向け、身を案じるべきでしょう。人として。
「自己責任」という言葉には、ふだん教養がない人が一時的に上から目線になれる、危うい誘惑があるのだろうと思います。

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