「時が止まった部屋(小島美羽著)」遺品整理人がミニチュアで伝える孤独死のはなし

若い女性が遺品整理人になり、見続けた孤独死を、ミニチュアモデル製作というスタイルで伝える。

孤独死

小島美羽という女性が遺品整理人になったのは、やはり死が原因だった。そして、大抵の人は数ヶ月で辞めていく仕事を長く続けている。のみならず、その孤独死の現場で見たものをまとめて、ミニチュアモデルにして人に紹介している。それが話題となり本になった。それが原書房の「時が止まった部屋」だ。

彼女には、孤独死という言い方はしっくりこない。病院ではなく、住み慣れた家で最期の時を迎えたいというのは誰でも思う事だからだ。

自宅死。

その方がいい。と。おっしゃる通り。いちいち重いし刺さるのね。彼女の言葉。

「自宅で一人で死ぬのは悪い事ではない。発見されるまでの期間が問題なのだ」

ごもっとも。

ミニチュアで製作されたものにはグロいものもある。

相続放棄

大抵の遺族は相続放棄するらしい。孤独死した部屋に遺族が来るのはまだいい方で、「そっちでやって」的な無責任がほとんどらしい。「なんで、家を出てった人の為に、お金使って掃除とかしなきゃいけないんだ」とな。

死ぬと体液が布団に染みて、畳に染みて、それが床の下にしたたって大変らしい。そうなると、もう畳を変えるだけの話ではない。収益不動産としては散々。

彼女曰く、

布団ではない場所で死ぬ人は、大抵玄関の方に頭が向いている。

女性タレントのゴミ邸

ゴミ屋敷は、ふとしたきっかけで出来上がるという説明がなんとも説得力を帯び。

タレントの女性が、向かいかもしくは隣の部屋にストーカーのファンが必ず引っ越してくる度、何度も引っ越しをする。都度、またストーカーはくっついてくる。一度、ゴミを開けられた事があり、それ以来怖くて、ゴミを外へ捨てられなくなった。そして、そのタレントの部屋はゴミだらけになった。

本作の著者はこのタレントから「ゴミの整理」を頼まれる。

だが、これは希有なパターンではないらしい。愛する人の死。愛するペットの死。ふとしたきっかけで鬱になったり、部屋を出なくなったり。そしてゴミを捨てるのをなんとなく億劫になったり。来年の自分が「ゴミ屋敷」に住んでいないという保証はないらしい。

風呂自動

わがやの風呂自動は5時間ぐらいで消える。それが当たり前だと思っていたが、実は、そうではなく、かつては永遠に追い炊きをしていたそうな。それをこの本で知る。

湯船に浸かったまま死んだ人は、風呂自動が消えるまでは、茹でられ続ける。著者が目にしたある遺体は、もはや原型を留める事もない体の断片が浮いている茶色いお風呂だったそうな。

この話もキツイ。

人間模様

だが、やはり読み終えてキツイなぁと思うのは、そういったグロテスクな部分ではなく、人の心の醜さ。

遺品整理をしている最中に、アニメファンの仲間が、堂々と遺体のそばに入ってきて、希少価値の高い「マニア垂涎のもの」を持ち去っていくらしい。主婦は、綺麗な家具を堂々と持って行くらしい。それも「この人に貸したもので」とか「死んだらあげるって言われてるんで」と悪びれない。

彼女たち「遺品整理人」はそれを「…………。……」とやり過ごす。その辺りの、にんげんのきったならしい部分が、一番怖かった。事実は本当に激しい。

まとめ

小島美羽さんは、「エンディング産業展」という所で、ミニチュアを披露した。そこで話題になり、ここまで広がった。ミニチュアの部屋には、遺体はない。でも、人の生活臭はある。それが切ない。

この本の迫力は、この帯にある若く可愛らしい女性が、このドラマに日々向き合っているという強い現実。そして、彼女が、そして彼女の会社の社長が「この仕事」を始めるに至った物語(泣ける)。人は何かをきっかけに人生を賭ける仕事に出会うし、そういう人たちが色々なジャンルにいるからこそ世の中はうまいこと回っているのだな。

病院に行くと、「死」という一つのアイテムを扱う雰囲気に気圧される時があるけれど、遺品整理人においては、死を恐れるとかそういった段階ではなくて、死後の話なので、死から始まる物語だ。

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孤独死ならぬ「一人での自宅死」は、誰でもあり得る事だし、それが幸せとは言いづらい。賃貸であっても、持ち家であっても、その不動産を管理する側には迷惑だし、処理が何しろ大変。死ぬ時に誰かにそばに居て欲しいと思うのは贅沢ではなくて、死んだ後の回りの人の為なんだな。


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投稿者:

Miyacolor

まぁ、なんとなく楽しく生きていますよ。それで十分でありながら、それでいいのか?って自問自答する日々ですかね。