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プロダクションに入る事と入らない事【吉本問題】

吉本興業の闇営業問題(という呼称もどうかと思うけど)で、取り沙汰されてるのが、事務所の立場とタレントへの接し方の問題。

所属タレントとは

大学が出たばかりの頃に、いきなりテレビのレギュラー番組への出演が決まり、知人経由でプロダクションに入ろうとしたが入れず、それから個人でやっていて思うのは、自分は自分の性格上所属しなくて良かったなぁということ。

そのレギュラー番組で一緒になったタレント(大手所属)に教えられたのは「入って欲しいと言われて入るべきだよ」と。「入れてください」と言って入ると、仕事がなくても文句が言えないから、と。なるほどぉ。やっぱり大手プロダクション所属の人は言う事が違うなぁ。なんて思った二十代半ば。

で、所属と預かりってのがあって、僕は預かりで色んな所のオーディションを紹介され、受かって仕事をしていた。要はCMオーディションなんて、所属に勿論振ってやりたい仕事だろうけど、他の事務所のタレントに仕事が行くよりは、預かりの者でも合格してくれた方がいい。利益になるからね。所属の人より断然、得していたと思えるあの頃。複数の事務所から仕事紹介して貰えていたからね。

その頃、思ったのは、所属となるからには、「他からの仕事が出来ない」立場であり、ということは「固定給」を貰うべきだ、という考え方に至る。でないとおかしい。

正社員と所属タレント

会社は正社員は喰わしていかなければならないが、タレントは喰わして行く必要がない。でも売れて貰わないと困る。そんな関係。
なので、マネジャーの給料が第一で、その為に、所属タレントが「売れなければ」「売る」しかない。だが、売れない。ということは「増やす」しかない。もう大変。そんな陳列棚にいる商品を人として家族として見るなんてことはなかなか難しい。力関係が逆転するぐらい稼げば別だろうけど。

所属するという意味

所属すると、マネジャーを喰わして行かないとならないので、よほど売れていない限りは、またその事務所が片手間にやってる事務所(他でしっかり利益を上げている事務所)でない限りは、「儲かる仕事」はやって差し上げたい。なぜなら「儲かる」からだ。CMとかね。

例えば、有名ミュージシャンがTVゲームのCM出てて悲しい思いした人いるでしょ。そういうのも同じ事ね。

かつては、映画俳優はテレビに出ると「安っぽくなる」から出なかった。銀幕のみで仕事をしていた。観客の夢を壊さない素敵な考え方であり生き方。それをやっていても、どうしても頼まれて仁義の部分でテレビになくなく出ていた人もいた(緒形拳とかね)。でも、今は、事務所が強いので、大抵の人はテレビに出る。そもそもテレビ至上主義のミーハージャパンなので、テレビに出ている人が出ないと映画もヒットしない。ああ悲しい。

テレビって日常的に生活に組み込まれている人が多いだろうから、せめて映画は「現実離れした」世界の住人と出会いたい場所なんだけどね。だから邦画はほとんど見ない僕。いや、もうワイドショーが多いから、ネットニュースでもバンバンどうでもいい醜聞が頭に流れ込んでくるから、いい俳優と思っている人でも、観に行くと「ああ、この人はあのお笑いタレントとつきあっていたんだっけ」なんてどうでもいい事が頭に浮かび作品に没入出来ない。

つまり事務所が強い時代は作品が腐るし、いい作品が出にくい。そんな気がする。

所属するとタレントはよほどの立場の人でない限りは、自分の意向だけで仕事を選べない。情に流されて、嫌な仕事も受けるようになっちゃう。所属事務所の台所事情を知ってしまおうものなら、この仕事を受けたら、マネジャーさんが喜ぶだろうなぁ、なんて思って受けちゃうってワケ。人間だもの。

契約するのかしないのか

契約をするのは、良いこととして周知されているようだけど、そうでもなくて。

契約って、契約書を作る所から始まるよね。事務所が用意した契約書を見て、それに判子を押すってのが通常のパターン。

でも、事務所が用意する契約書ってのは、当然だけど、事務所に有利な条項になってるよね。それを考えたら、契約そのものがタレントに有利かどうかは疑問でね。

もっと言うと、契約書の内容に「理解」出来ないといけなくなるからさ。

タレントなんて、稼いでも節税さえ出来ないお子ちゃまみたいな人の方が面白いワケで。三田佳子のように高額納税のアイコンにされちゃってる残念な感じの人の方がいいわけです。

普通に考えたら、「どうして節税しないのだろう?バカじゃねーの?」でしかないんだけどさ。

でも節税しない側の気持ちも判るのね。僕もそうだった。儲かってる時って、そんな事を考えるよりも、その分稼げばいいだけだ!と思うのね。そんな請求書の書き方とか節税のノウハウとかを学ぶよりは、その分面白い作品を生み出せる努力をしろよ!ってね。

テレビのタレントはその方がいいように思え。辛い日常を忘れさせてくれるピーターパンでいた方がね。

僕は劇作家として、社会の事を少しでも理解してそれを作品に反映させる為には、ある程度「一般人」としての常識を理解するのも手だなぁと思っただけ。結婚もしてみなければ、既婚者の気持ちは判らないし、子供も作らなきゃ、親の気持ちが解らない。そういうこと。

NLTの賀原夏子さんが死ぬ時に「この死ぬという経験を演技に活かせないのは残念だ」と。女優魂。閑話休題。

契約書を交わすってことになると、契約内容を理解出来なきゃいけないし、でも出来ない人が多いから、AV女優とかローラとか悲しい契約に縛られて残念な事になりかけたりするわけだよね。

そういうことでいうと、契約を結ぶか否かもこれまた大きな問題。世間知らずであることが商品価値の大きな部分であるタレントは、無知という力を捨てさせられてしまい魅力のない人に成り下がりかねない。

まとめ

お笑いタレントは契約書を交わさない方がいいとは思う。そんなことより、女性の尻をおいかけていた方がいいし、人にお金をだまし取られて泣きそうになってる人生の方が芸人らしい。

つまり契約書が必要なのは人次第ね。酒を飲む金がなくなったらCDを出す、といったジェフ・ベックのような生き方が一番幸せだと思う。

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作成者: 宮川賢

何しろ、インプットを多くしないとアウトプットばかりだと枯渇しちゃうし、ヤバいのでまずは読書を。そのためにソロキャンプや旅行や仕事も頑張らないとなりません。なーむー。