男女の性別を確認するテレビ番組での藤崎マーケットに罪はあるのかな?

男女の性別を確認するテレビについて。


かんさい情報ネットten

問題はこういう事。

お笑いコンビ・藤崎マーケットが街を歩いてレポートするコーナーだが、「性別がわからない常連客がいる」という店員の声を受け、客に恋人がいるか確認したり、保険証を提示させたり、胸の膨らみ具合を手で触ったりした。これに対し、コメンテーターとして番組に出演していた作家の若一光司さんが「許しがたい人権感覚の欠如。そんなもの、よう平気で放送できるね」と怒りを露わにしていた。

とてもよくわかる話。

そして、これをバラエティなのだからOKという風にしてしまう問題が根深い。

芸人さんが優秀すぎ問題

何をやっても、「失礼にならず」「(所謂)美味しい」状態にしてくれる印象が、今のお笑いタレントにはある。任せて見ていられる安心感。それは、かつての危うさがみじんもなく食い足りないという考え方も勿論出来るし僕も少しは感じている。

なので、芸人さんがやっていることなので、これは「OKなんだ」と先入観で思ってしまう部分がダメな部分。自分の考えがない。局アナであったり、キャスターは自分を持たずにただのMCとして段取り回しがかりとしてそこにいるのみで、内容において責任も持たなければ、興味さえないイメージ。なんとなくその場を面白がれる人が向いている。出ているだけで満足していられる人が一番スタッフからも使いやすい。

スタッフを盲信しちゃいけないの

スタッフも人間なので、盲信しちゃいけなくてさ。そのチェック機構を自分も持たないとならないんだな、という気持ちを出演者がもたなければならないのだけれど、これがなかなかどうしてそうならない。それは何故か。やはり、そういう意見を言う出演者はめんどい。アシスタントぐらいは大人しく言う事聞いてくれる人を配したい。

そしてスタッフは誇りも持っている。この日の放送の為にずっと努力をしてきた。出演者はただ元気な体で今、スタジオ入りしただけでしょ? そりゃスタッフの調べ尽くした努力と精通には敵わない。ということもあり、スタッフは自信満々で意見を言います。それが面白いと信じて。それに気圧されてしまい「分別がつかなくなる」阿呆もなかにはいるということ。かな。

自分の経験でも

自分の経験でも、スタッフにトークバックで訂正を促される時がある。強く促されると、「そのスタッフの知識の方が確実に間違っている」と判っていても、その間違った情報に「言い直す」事がある。これ、とても悲しい。なんで言う事聞かないんだ!みたいなスタッフだと面倒臭いから放送を汚して、犠牲にして、嘘と判ってて喋らざるを得ない。終わってから指摘する。だが、そうでしたか、スイマセンでした、と言われるだけで、放送で嘘を言ったのは「俺」になる。

人と仕事をするということは、圧倒的なリーダーシップのもとで作らない限りは、人数が増えれば増えるだけ「その数の最大公約数」レベルの質にまでしか上がりようがない。これが一番ダメな問題。でも、しょーがない。どこもそんな感じね。汗

もしかして、と気になるのだけれど

もしかしてさ、この作家の方が怒って指摘していたからこうして表沙汰(ネットの方がテレビよりオモテ)になっただけで、出演者全員がスルーしてたら「視聴者含めて」スルーだったんじゃね? そんなもんなんじゃね? と思えて仕方ない。均一化こそ命。没個性こそ美徳。そんな悲しい日本人。

維新派

びっくりした。この若一光司さん。維新派を作った人だった。えええええっ! あの維新派をっ?! それだけではない。ストリッパーと知的障害の青年との愛を描いた『海に夜を重ねて』を上梓してる。これ「メイク・アップ」として烏丸せつこ主演で映画になってる。こういう繊細な題材を作品にしている人は当然、怒るよね。



この人が怒らなかったら、放送で怒らなかったら、これは埋没した事だろうね。
そして、この方のように「放送で怒っちゃう人」というのは、それだけで「正義」なのに、テレビ局を成長させてくれる方の筈なのに「正論」なのに、なのに、「あの人、怒るからなぁ」と外されてしまう可能性が高い。問題でないことも問題にされちゃうかもしれないからなぁ~、とね。

まぁ、だから、テレビは見ない方がいいよってことよ。



その後朝日新聞の記事に氏のインタビュー。

取材経験から「自分の性が一般的でないということによって、差別を受けたりいじめを受けたりして、自殺された方もたくさんおられます」と若一さん。「性的少数者の方がこれを見ていたら、本当に心を痛めるだろうな、街でこんなことをされるかもしれないと、震えておられるだろうなと。(取材を受けた)ご本人が納得していたとしても、そうでない受け止め方をする性的少数者、視聴者もいるだろうと思いました」と振り返った。

生放送で初めてVを見た。

 生放送の本番中、視聴者のみなさんと同じように、VTRを見ていました。見た目が男性か女性か判然としない方の性別を確認するために、その方のフルネームを尋ねたり、どこに住んでいるかを聞いたり、あるいは彼女がいるか聞いたり。さらにエスカレートして「おっぱいありますか」と聞いたり、本人のご許可をいただいてのことですけど、体にふれてみたり、保険証を見せてくれるようにお願いし、見せていただいた保険証の性別欄の一部をカメラにアップにしたりということが行われました。これは初対面の人に対する礼儀を失するというレベルではなく、完全なプライバシーの侵害であります。明らかな人権蹂躙(じゅうりん)です。

セクシャリティについて。

 世の中には、見た目で一見して女性や男性か分からない方はたくさんおられます。古い時代には、世の中の性別は単純に男性・女性の二つしか無いんだという言い方が支配的でしたが、自然科学が進んだり、いろんなことが発達したり、あるいは当事者が自分で声を発して社会が変わってきた。

 男性・女性に区分できない、いろんなタイプのセクシュアリティーの方が、ごくごく普通にこの社会に存在していることが、社会的に共有される現実になっている。にもかかわらず、見た目が男性か女性が分からないという一点をもって、何の問題意識もなく、その人のプライバシーを侵害してしまう。こんなことが、報道番組の名の下に、行われていいのか。ショックで怒りで震えました。

 どうしたものか、どう対応するか迷いました。もしここで自分が声を出してしまうと、私は性分としてどうしても冷静にはいられないものですから、怒鳴ってしまうかもしれない。そのことで視聴者にまた別の不快感を与えてしまうかもしれない。終わってから番組のスタッフに「こんなバカなもんどうして流したんだ」と言う選択肢もあるかなと、一瞬は思いました。

 しかし、よくよく考えてみるまでもなく、今まさに私の目の前でそういう放送が流れているわけですから、それをご覧になって、傷ついている方がたくさんいるだろうと容易に想像できました。

言うか言わざるか。

 これを黙って見過ごしてしまうと、テレビが、我々が、報道の立場として、こういうことが許されるのだということをまさに言ってしまうに等しいわけですから。私が発言することで、どんな批判が出ても、どんな失敗につながっても言うしかない。そう思って声をあげました。

 後で、たくさんの方から「若一さんのおっしゃることは理解できます」というお言葉をちょうだいしました。ただ、一部の方から、「おっしゃっていることはよく分かるが、あそこまで怒ることもないやろ」「あんな怒り方をされたので、自分が怒られたような気がして不快感を感じた」「怒られることにトラウマがあって、恐怖感を感じるタイプなので私自身すくんでしまった」と、いろんなご批判をいただきました。それは本当に申し訳なかったと思っています。

 同じことを訴えるにしても、私自身が表現するスキルが乏しかったな、未熟だったなとつくづく反省しています。男性か女性か、そういうことを個人のプライバシーに踏み込んで確認するのは、それ自体が人権上の問題だと。そのことの本質は間違いではなかったと思いますが、表現の仕方に工夫が足りなかったと深く反省しています。

正論を言う事で反省する。ここまでのテレビ人だったとは。

そして、越前屋俵太さんのツイート。

内輪もめ?

難しいのは、テレビでの口論はそれが「朝生」みたいな「芸」でなければ、内輪もめなので見せるべきではないと出演者も思う点ね。それがあの中途半端な対応してた女子アナたちの所在なげな様子。僕もラジオ番組に携わる中で、明かなスタッフのポカを看過出来ずに指摘してしまう事もある。そうやって、放送を汚してまで訴えない(訴えないということは、出演者がスタッフのミスや手抜きやポカをフォローして放送という形にして無問題にしてしまう)と、この人たちには堪えないんだろうなぁという方策で。適当な原稿書いてても、出演者が誤字脱字もテキトーに直して読んでくれるから、テキトーでいいっぺ!という感じね。とはいえ逆に、出演者のミスをスタッフは、敢えて問題として現出させると放送が今ひとつなクオリティになるなぁという理由で、出演者のミスを放置する事もある。

投稿者:

Miyacolor

まぁ、なんとなく楽しく生きていますよ。それで十分でありながら、それでいいのか?って自問自答する日々ですかね。