AMラジオ滅亡の日?

AMラジオがFMラジオへの転換を総務省に。

両方やんのメンドイのよね

ってことのようです。そりゃそうだろう。ラジコもあるし、やらねばならぬことが色々ある。

ラジオスタッフの仕事もそりゃあ増え続けてきたのが最近だからね。

ラジオ番組を作る。のみならず、
ポッドキャストを作る。
番組ブログを書く。
ツイッターで更新する。
Facebookページも更新する。
それ以外にもオンデマンドサービスのコンテンツも作る。
CDとして販売するかもしれない日の為に、権利物を抜いた放送を記録する。
とか色々ね。

スタッフの仕事分担も色々だよ。
ディレクターは演出するというよりは、喋り手をノセ上手な事が一番求められたり、笑うのが上手な人が重宝がられたり、クリエイティブは二の次みたいな番組もある。演出はしているというよりは、演出についての責任を持たされてる人って立場。可哀想とも言えるし、モティベーションをどこに作ればいいのか解らないから同情もする。モティベーションが持ちづらい番組をちゃんと作れるって人が人気。つまり求められるはアベレージヒッター。ホームランとか打たんでいい。大ぶりなんてするな。番組は当てる必要はない。形になってりゃいい。的な人が一番人気で沢山仕事を抱えてる印象。

放送作家。
勿論作家がいるって状況はラジオにおいて極端に恵まれている状況だ。大抵いない。いるってことは、なんだかディレクターが無能っぽいし、喋り手がラジオをよくわかってない場合?なんて雰囲気もある。それがラジオにおける放送作家。東京は作家ついてる番組めちゃんこ多いよね。さすがトキオだぜ。だが、その作家さんも、台本書くとかアイデア出すってより、フリートークの追従笑いが上手な人であったり、ブログに載せる写真を撮影するのが上手な人であったり、ともはや何屋さんなのか解りづらい。本当に大変そう。

それでいったら、僕の番組でも、ミキサーが歌ったり片付けたり、駄洒落考えさせられたり、私生活暴露されたり、出演者が飲む水を用意したり色々やってて可哀想を通り越して、毎週がお花見みたいな感じ。場所取りして用意して広げて騒いでなのに終わってそれを片付けて。

前は、番組を作る。ラテ欄に載せる文言を考える、くらいだったものが、今や。ねぇ。そりゃ、質も落ちる。リソースが足りないんだから。出演者に頼らざるを得ない。となるとタレント呼びがち。それは仕方ないよね。実際に、ラジオに出たいと思ってる人って死ぬ程いるし、発言したいと思ってる人も沢山いる。メディアって発言の影響力があるから、気持ちいいらしくて、みんな番組をやりたがってる。となれば、状況としては、そういった関係でいいのだと思うよ。もはや仕方ない。

1980年代とかのニッポン放送が、クソみたいなアイドルとかアーティストとかの番組を作らされて尚且つそれを爆発させて大ヒット番組にしちゃうなんて痛快な夢物語は今は昔。あり得ない。ラジオを聴いて育った人が極端に少ないからね。それは、僕らが面白い番組を作れなかったから、リスナーを手放してしまったワケで、本当に悲しい。

なんておセンチな物言いはともあれ、AMラジオは消えようとしてる。

何故残ってたのかさえ不思議に思う時が来る。

そんな気がします。

あったねぇ、AMラジオねぇ。

そんな事を言う日がすぐに来る。すぐに過去の物になる。

D端子。あったねぇ。

SCSI接続。あったねぇ。

MD。あったねぇ。

レーザーディスク。あったねぇ。

AMラジオ。あったねぇ。

例えば、嬉しかったのは、デジカメの登場だった。フィルムで撮影していたから、シャッターを押した時は「その露出とかであってるのか?」は解らない。後で現像して焼き増しして初めて解る。なのに、その時に、どのネガがどの設定かというのは覚えておかないとならず、答え合わせが異様に遅いのでなかなか学習しづらかった。

しかも、フィルムとか現像とかお金がかかる。況や焼き増しをや。

だが、デジタルになると「無料でシャッターが押せる」という感動に打ち震えたものだ。いくら押してもいい。これは嬉しい。

だが、これにより、僕はしばらく馬鹿写真ばかり撮影していた。

それは、ラジオでメールが読まれるようになったから、ハガキ職人のように「切手代を出している分本気で書く。選んで書く」というのがなく、無駄打ちが出来るようになったのと似てる。

いいことか悪い事か解らない。

ともあれフィルムカメラってのはあったけど、消えた。なのに、AMラジオはいつまでも残ってた。

綺麗な音が当たり前の世の中で。

アナログからデジタルになってね。ビデオテープがDVDになったでしょ。ノイズがなくなったよね。レコードがCDになったように。ラジオだけはいつまでもノイズがあった。それが不自然で仕方なかったよね。気持ち悪かったでしょ。俺も気持ち悪かった。

最初、自分の声をFMラジオで聴いた時は、ソフトフォーカスのものが輪郭クッキリのシャープになったようで、恥ずかしかった覚えがあるよ。ピントが急にあったみたいな恥ずかしさ。慣れたけど。

そうなると音の、

だが、そうなると音の良さを利点として生かさないと意味がない。FMが出来た時はそもそもそんな感じだったよね。能書きが多いAMに対して音楽中心。音楽家の作り手の意図がしっかり伝わるのは明らかにFMラジオだ。音楽をそのままかけても、CDと同等の魅力がハッキリ伝わる。

ということは、確実に、音楽を聴いている人、音楽に精通している人、音楽ファンであること、というのがラジオスタッフに間違いなく求められる事。

だが、そうやって考えると、AM局だった所が、FM局になったら、どういう事を武器として戦っていけばいいのか? 音楽では敵わない。お洒落さでは敵わない。タレントが気持ちよく喋ってます。作家笑いがいい音で響いてます。タレントパーソナリティの写真が番組ブログに掲載されています。

俺は悪い事言わないから、音楽好きのスタッフを増やした方がいいと思うよ。20年前から信じられなかったのは、AMラジオのスタッフの何人かは、直接話を聞いてビックらこいたんだけど、CDは月に1枚買うか買わないからしく。えー。そんなー。ってね。

例えば、音楽家をブッキングすればいいとか選曲家を雇えば、とか考えるけど、要は発注してる側がどれだけ解ってるかが大きくてさ。
「竜馬におまかせ!」の打合せで三谷さんがスタッフの誰かから「解りましたっ。次までにバック・トゥ・ザ・フューチャーって映画、見ておきますね」って言われて脱力したらしい。えー、バック・トゥ・ザ・フューチャーも知らなかったのぉ~?!ってね。そりゃそうだよね。そんな人と作って面白いものが作れよう筈がない。頑張ろうって気持ちになろうはずがない。

理屈はネットで充分なんだから、時間芸術なんだから生理に訴えようぜ。

さようならAMラジオ

 民放連代表として有識者会議に出席した入江清彦TBSラジオ会長は、AMからFMへの転換や併用をラジオ局が判断できるよう要請。23年をめどに実証実験を実施し、28年までに制度改正するよう求めた。AMに比べFMは設備などの運営コストが安いため、転換を可能にすることで負担を減らしラジオ局の経営を支援するのが狙いだ。

 民放連によると、AM放送各社の営業収入は1991年度にピークとなる2040億円となったが、2017年度には6割減の797億円まで落ち込んだ。27日の有識者会議ではある委員が「企業努力で何とかできる水準ではない」と、民放連の要望に理解を示したが、AMは遠方まで電波が伝わりやすく、山間部で広く受信されているため、慎重な意見も出された。 

親に隠れて聴いていたラジオ。
こっそり聴いていた背徳感たっぷりの深夜放送。
AMラジオがなくなるのは、冷静に考えれば遅すぎるし、その辺りを加速させられない様々な問題が、今の現況を動かしづらい苦難の道となってるのだろうけれど、それにしても聴いて育った身としては、少しだけ寂しいんだよね。

AMラジオがなくなったら、ラジコで聴けないAMラジオを北海道とか言った時にレンタカーで聴きまくったりするのかな。そしてその音質に涙したりするのかな。いや、しないな。わかんないけど。

白石冬美さんのご冥福をお祈りします。

投稿者:

Miyacolor

まぁ、なんとなく楽しく生きていますよ。それで十分でありながら、それでいいのか?って自問自答する日々ですかね。