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M-1の残念な点

今年のM-1はこれまた面白かったですね。

文化を育てる

単純に面白いだけでは人は「面白い」と感じなくなってきている中、とはいえ反則技系や飛び道具系など外連味あるモノを認めたくない天邪鬼な風潮の中で、極めてオーセンティックな話芸で若くしてチャンプに輝いた二人の快進撃は痛快無比で、まるで最後は正義が勝つ!を地で行く、謂わばおとぎ話のような出来過ぎ決着。二周回って完成した寓話の如し。

テレビの繁栄により、ちょっと面白い位では評価されなくなった芸能界は、お笑いタレントに関しても「面白いのは当たり前」でそれ以上の要素で勝負に勝たねばならず、大変ですが夢が大きいフィールドです。芸能界におけるお笑い芸人のポジションの巨大化により、知名度アップのとっかかりでもあるネタの研鑽はアスリートのように真摯に取り組まれ、群雄割拠の様相を呈している。

よく笑い、面白い事を渇望して求めに動けるのは若いお客様。より面白いものを探求する心も若いお客様。となるから若い時にタレントとしての下地を完成させなければならない年齢制約も、これまたアスリート(や奨励会の棋士)に近い。

だからこそ、結成年数制限があるM-1は大会の権威と同時にドキュメンタリー要素で人を感動させる。スポーツと同じなのは、そのスポーツそのものがそれほど好きではなくても、優勝してそんなに喜んでるのか?と感動するアスリートの姿を見て「そのスポーツをこれからも応援してみよう」と思うワケです。なんとなく容姿がタイプなアスリートが勝った喜びを見て「今後も応援しよう」と思うワケです。あんなに喜ばれたら、M-1って本当にお笑いタレントの皆さんの究極の到達点なんだなぁと、理屈抜きで興奮できます。

そしてその権威こそが、漫才という文化をどんどん進化させ成長させていく。見る者の目も肥えさせ、演る者のプライドをも震えさせ、なのに客前でウケる必要があるから独りよがりの芸術家肌では許されない。

70年代は日本の演劇界はとても面白いものでした。歌舞伎などから新劇が出てきて、アングラが出てきて小劇場が出てきて一気に広まった。そんなのテレビドラマでやってるでしょ?演劇でやる必要ないでしょ?という風潮が観客に阿る演劇を喝破し、成長を続けた。そして難解なのに楽しめる夢の遊眠社が演劇の地位を確立したかに見えたけど、その後は色々な事が折り重なって、誰でも解るフツーのドラマ風演劇が蔓延るようになり、進歩を自ずから止めてしまった感がありますね。まるでエマニュエル坊やが薬を飲んでたように。

打って変わってお笑いの世界は日々進化。これからももっともっと楽しみです。テレビ文化と併走する必要はあるにせよ。

残念とされる部分

何かと問題になるのが、審査の基準と審査員の好みの問題。そしてそれに対する出演者の受け止め方。とある出演者が審査員に悪態をついて猛省しています。そのぐらい悔しかったのでしょう。これまた僕にとっては「そんなに執着してるのか、この大会に」という思いが伝わって微笑ましい。

ですが、エントリーする側は審査する側の立場よりも自分中心に考える為に、陥る穴が沢山あります。僕はあそこに並ぶ有名人と誰一人知り合いはおりませんし、話した事もありませんが、安易に想像出来る事として、「やりたくて審査員をやっている人は一人もいない」点が挙げられます。

漫才をやりたくてやっている人が審査をしたいワケがない。リスクしかない。評価を語るが、表現者が人の作品を語る事評価することがどれほど辛い事か。それは逆の立場がわかるからです。評価される側でありたいと思っているからです。ですが、大会に権威をもたらせる為には、数字も取らなければ賞金も確保できない。数字を考えたら、誰が飛び出すから解らないエントリー者に有名人を散りばめようなんて手心を加えるワケにはいかないから審査員で数字の保険をかける以外にない。そこで頼まれて「漫才への恩返し」の意味で審査を引き受けている人ばかりだと僕は思っています。

ましてや大人になれば、個人的な好みではなく、「今後の漫才界において誰を選ぶべきか」をも踏まえて考える事の煩わしさといったらないでしょう。なので、エントリー者の為に嫌われ役を買って出てる人にエントリー者が悪態をつくのは良い行為ではありませんね。

僕は偏っているので、文学賞の審査員を一度やったけどすぐやめた人の小説を探して読むようにしていた時期があります。審査員を長々と出来る人はそれはそれで頼もしいけど、すぐやめちゃった人なんてのはそれだけで信じられる。文学界から評価されてるから審査員を依頼される。だけど、「人の作品にガタガタ言うのはイヤだ。それよりは作りたい」と思うからやめるわけです。これ以上素直に信頼出来る人はいない!そう思っていた時期があります。

なので、長編書きたいから、と「管見妄語」連載をやめた藤原正彦さんも(毎週読めなくなるのは悲しいけど)理解出来る。だから、M-1も審査員の言葉に感じるセンスにキュンと来る事が多く僕が好きなのはナイツの塙さんの「テレビに出たいから引き受けました」です。視聴者を笑わせエントリー者をイラッとさせず自分の名刺を配る素敵な一言。

お笑い養成所の審査員をやったことがあります。養成所同士の対決で、どちらも「その後の人生がかかった局面」だったらしい。終えたあとの芸人さんたちの恨めしい視線は忘れられません。

演劇の出演者オーディションは何度もやります。そして何度も経験していることですが、選ばれた人は「合格した自分を喜びます」が落とされた人の何人かは「あいつに落とされた」と僕を恨みます。それを何十年も続けていると、恨まれ慣れてきます。その後何度も飲み会だとか別の現場で「あの時、ミヤカワさんに落とされたんですよぉ」と言われる。

評価される側でありたいのに、人の事言ってる場合じゃないのに、評価しなければならない、審査しなければならない立場を様々な事情で請け負った人は、大変です。なので、審査員を恨むのはよくないと思います。

負け惜しみを言う権利

では、負け惜しみを言う権利はないのか?というとそうでもないです。それが公になったから問題になるのであって、日記にこっそり書けばいい。誰も見ない日記をね。アルトゥール・ビダルが肝いりでバルセロナに入団したがレギュラーの地位を確保できずにいる。そのことに、変な「怒ったようなカオモジ」でSNS投稿して炎上した。

負け惜しみを言わねばやってられない程、悔しい思いをしたのであっても、その悔しさの大きさがあるから大会のバリューが上がる事を思うと負け惜しみは誰もが言って良いとも思います。言った後で必ず自分を卑しいと反省出来るでしょうしね。

今年も何度か「言わなきゃいいのに」を聞いてきました。ワールドカップ2018。日本を劇的な逆転勝利で倒して快進撃をしたベルギー代表。フランスに敗れた時に選手の一人が「あんな勝ち方で勝ち進むなら俺なら堂々と戦って負けた方がましだ」と負け惜しみを言いました。これ不要でした。小さい奴だと世界に広めちゃった。日本中を涙させた逆転カウンターゴールのような出来過ぎドラマを経験して調子こいてたのでしょうね。自分を中心に地球は回っていると完全に思っていたのでしょう。惨めで聞きたくない一言でしたよね。負けた日本サイドのサッカーファンとしても悲しかったですものね。

先日のバロンドールは、クロアチアのモドリッチが獲りました。それにワールドカップ優勝国のフランスのエース、グリーズマンが決定前から負け惜しみを言いました。ワールドカップより欧州カップの方が重要なんだろう、と。ヨーロッパリーグを優勝し、ワールドカップを優勝した、これ以上僕は何をすればいいのだろう?とね。

ですが、これは、各国のキャプテンだとかが選ぶ賞なので、誰を恨む事でもない。M-1は審査員はあの数名に限られる。そもそもその前に、どういったバイアスがかかってあなたがたを選んだ人がいたのか? そして決勝に相応しい審査員をある基準で選んだ人がいたこと、等が前段にある。審査員さえも選ばれた人であり演者なのだから、個人に恨み節が集中するのは仕方ないけど残念な現象。

とはいえ負けた悔しさは人一倍成長させるし、メッシも負けず嫌いの度合いが世界一らしい(ペップ・グアルディオラ曰く)ので、負けて悔しいと思うこと自体が僕は羨ましいです。

そして、それを先輩お笑いタレントの方々が苦言を呈したり叱ったり何かコメントを残したりしてるのもファミリアな雰囲気で好感が持てます。

個人的に好きなのは

僕は個人的に当たり前が好きではない志向なので、読書も映画も音楽も変なものが大好きです。勿論それはエンタメ小説が面白いと思った時期があり、ロックやポップスが好きで聞いていた時期があり、ハリウッド映画に胸ときめかせた少年期があり、それらを経ての事なので、そういった通俗的なものが食わず嫌いではありません。

マジックレアリスムのジャンルに傾倒し、テクノから変なジャンルへずぶずぶはまっていく自分を心地よいとも感じ、フライング・ロータスのウンコ映画「KUSO」はどうやったら観られるんだろうと考えているような僕ですから、M-1の最近の出演者ではダントツにジャルジャルが好きです。漫才は素の部分があって、例えばこんな風にならない?という想定部分を入れ子構造で内側に入れて演じる場合もあります。その入れ子の部分しかないような、つまりコントのようなやりとりを漫才で展開する構造破壊。漫才という話芸のやりとりを鼻で笑うかのような応酬。なのに、M-1というメジャーな部分に出てくるメンタリティ。個人的には強い個性に惹かれます。

日曜日トークライブ

12月9日(日)15時から大塚レ・サマースタジオにて「大塚カル~クAfternoon」やります。トークライブです。3000円で前売り中。来てね。

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作成者: 宮川賢

何しろ、インプットを多くしないとアウトプットばかりだと枯渇しちゃうし、ヤバいのでまずは読書を。そのためにソロキャンプや旅行や仕事も頑張らないとなりません。なーむー。