声について書いてみたのは、
22日からの公演「小さな声のおともだち」のパンフレットのご挨拶文。色々声について思う事を書いてみて思ったのは、自分は声フェチだなぁという事。声そのものが好きということ。40代で鬱になりかけた時に(認めない汗)、単純に稽古場で声を出して「自分の声が空間を制圧している感覚」だけでもの凄くハッピィな気分になれたのを思い出します。それは脱鬱のきっかけでした。自分の声に助けられた。
声の記憶
一度聞いた歌が耳から離れないって事、ありますよね。ラジオで聞いて、探しちゃう、みたいな。今の自分の気分にグサッと刺さる場合はとりわけ電気が走ったような感覚。解ります。
それと同じように声好きな僕は、一度聞いた声を忘れられない事がある。
これまでの人生の中にも何度かあります。仕事で一緒になる人の声が好きで好きで仕方なくて、その人そのものを好きになってしまいそうになるなんてしょっちゅうです。
覚えているいくつかは、
とあるコンビニのレジのお姉さん。きっぷのいい声でハキハキしてリズミカル。それが性格そのものを表してるようで、何しろ気持ちいい。その近くに行くと寄るようにしてたけど、最近いなくなってとても悲しい。とほほ。
二十年前に止まった温泉宿の女将の声。これ、しっぽりし過ぎて焦りました。旅先だから吊り橋効果か?と思ったけど、どう冷静に聞いてみても、素敵な声でウットリしてた。ああ、この人はこんなに声を評価されているとは微塵も思ってないだろうなぁなんて思ったりして。
他にもバイトしていた時に暮らしていた世田谷区の役所のオバサンの声。西新宿のマクドナルドの店員の声。とか色々。
声に執着
沢山好きな声は今まで聞いてきたけど、最近は嫌いな声がなくなってきて。いいことです。好みが凡庸になったワケではなく、好き嫌いが減ったというのかな。
そして、自分の声にも色々ウルサイです。ホントうるさい。厳しい。細かくは書かないけど、「今日の声はなんだっ」と自分に駄目出しをしたり。だから、ラジオ日本のミキサーさんが複数の担当者で「宮川の声を私はこうイコライジングする」というをそれぞれ持ってて、自分なりの「宮川声の作り方」を探求してる話を聞いて、感動しました。有り難いなぁってね。
公演は22日から
なので、声の事で色々やってた不思議な稽古もボチボチ終了。いよいよ本番となります。苦労を楽しんでる役者たちを見ていると、自分が初めて「静かな演劇」と称されていたお芝居に出演した頃の事とかを思い出しておセンチにもなります。高排気量の方が低速運転は安定するという考え方で声が大きい人の方が小さい声もよく鳴るって気がする。だが、出し方間違うと、それ「小さい声じゃねーじゃん」になっちゃうけど。
23日(金)、24日(土)はまだチケットありますので、良かったらいらして下さいませませね。お待ちしていますーっ!(^_^)v