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自己責任というハナシ

安田純平さんについて「自己責任」という点で責めたり擁護したり、色々ある。

僕が気になるのは

僕が気になるのは、言うタイミングの一点。そうかもしれないけど、それは今言う事じゃないのではないかなぁとね。

比較するのも変だし個人的な事だし愚痴でもあるけど、僕の家族は仕事頑張り過ぎて寝不足が祟って高熱出した僕に、「寝ないからでしょうに、何やってんのぉ」と小言。ええと、それは、高熱出している人に言う事じゃないと思うのね。とずっと思ってるけど、この家人はそれには気づけない人。これを毎回繰り返す。

それと同じ感じで、今、安田さんがヘタってる時に、そんなんゆーても。という部分。

石原慎太郎の例の発言

ほら、思い出せるのは、「そうかもしれないけど、今言うんじゃねぇよ」って日本中が思ったあの発言ね。3/11の直後に「天罰」という単語を使った。確か、自分たち(人間)は便利になりすぎてその力を過信して慢心したんじゃないかという類いの発言だったのだけれど、単語のどぎつさが何しろドイヒイなので、総スカン。

サンドウィッチマンの伊達さんも「あれであの人(石原さん)をダイッキライになった」と言ってたし。まさにあれも、タイミングが最悪でね。今回の安田さんの自己責任って話も「今」するこたぁないじゃないかと。

自己責任と思わせたい人がいる

個人的には、なんだろ、変なものを感じる。これまた3/11のハナシになるけど、あの時、節電ムードを政府に醸成されて、原発は必要だよねってのを刷り込まれた記憶があるでしょ。あの時、あれだけ隠されたり騙されたりしたのに、今はまた元の木阿弥のようにメディアリテラシーを磨かないとならないね、という雰囲気から遠のいてる残念な雰囲気。さておき、

あの時のあの感覚に近いものがあるのではないかしら?と思えてしまう。つまり、「死んだ」としても政府は悪くないと言わんばかりの予防線を張られていたのではないかしらん。と。つまり今の「自己責任」論そのものが、もはや扇動されてる事のように思えて仕方なく。

自己責任は本人も解ってる

例えば、「気分は形而上」でお馴染み漫画家の須賀原洋行さんはこうだ。


ダルビッシュ有も、


僕はこっち側。だが、反対側も当然いる。
勿論いていいし、それを「そう思うのをよせ!」というのは違う。なぜなら人はみんな違うからね。


自己責任ってのは、本人が一番わかっているので、自己責任だと口角泡を飛ばす事そのものが無意味だよね。では、どうしてこうもみんなが目の敵にするのかしら?と思って考えてみた。

英雄視が許せない?

ヒーロー扱いのようになってることが許せないのかな?
目立って時の人になってることが許せないのかな?

自分がヒーロー扱いされたいのかな?
自分が目立ちたいのかな?

世の中が「良かった良かった」と言っているのがなんか気持ち悪いのかな?

……いや、それぞれ理解出来る感覚ではあるけれどね。

僕は勿論、助かって良かった!と思っているよ

ただ、勿論、それ以外の事も思っているよ。例えば、カタールに恩義を感じるべき国になったとしたら、これは一つのきっかけだね、とか。
サウジのカショギ氏殺害で世界的に企業がサウジから撤退し始めているから、それが「カタールに来たらいいなぁ」というのがカタールにお金を出させた打算じゃないだろうか、とか。
色々な事があるよね。

で、そういった事を色々考え始めると、いい部分も悪い部分もそれはそれは沢山あるでしょうよ。ダルビッシュ有さんのように「ちゃんと伝える人がいてくれなきゃダメだよ」という一点でも十分説得力あるハナシだけど、それ以外の事が沢山沢山絡んでいるでしょうよ。それでも僕は単純に助かったので良かったと思うよ。まずはそれ以上でもそれ以下でもないもの。

比較してしまえば残念な事になっちゃう

「自分の命は一番大事」というのを物差しで考えれば、馳さんのように「三回も行ってんだから、馬鹿ですよ」という言い方も理解出来るかもしれないけど、自分の命よりも大事な事があるワケでしょう。これを「伝えよう」と努力しないまま生き長らえているのならば、死んだ方がましだ。という考えと価値観。

そもそも、自分の価値観(自分の命が一番大事で人はそう思っている筈)を皆が持っていると思う事自体がおかしなハナシでね。

例えば、大抵の男性は、女性の乳癌に対して「とれば治るのならばとればいいじゃないか」と思いがち。しかし、それが女性としての尊厳を大きく損ねる事であるならば、取らずに女性としての尊厳を保ったまま人生を終えた方が幸福なのだ、という考え方を理解するべきだ。

どうして福島に戻りたいと思うのか、理解出来ないという人がいるけど、そう思っているのだから仕方ない。家とはそういうもの。
津波被害にあった人にリスクを理解した上で住んでたんだから自己責任なんて言えないでしょう。

大抵の事は自己責任なんだから、あえて言うようなこっちゃないし、まして人から言われるのは違うと思うなぁ。
だからといって、英雄視するのは違うと思うし、兵士のように「お帰りなさい」と感謝するのもこれまた違う。

レース事故で死んだF1レーサーに自己責任って言わないよね。
安田さんがTwitterで呟いていた内容を見ると、肩を持つ必要がねーな、と思う人がいるのも多少は解る。

ただ、僕は、人が危険な目に遭って、40ヶ月経って生還したのだから、それだけで「ああよかったね」と思う人でありたい。勿論、「ああよかったね」の裏には思う事は沢山あるし、解った上だよ。

バレーボールの大友愛さんが結婚妊娠した時に、「えっ!?今かよっ?!オリンピック行きたかったんじゃねーのかよっ?!」と結構な人が思ったと思うんだけど、それでも当然だけど「おめでとう!」って言うでしょ。そんなんと同じ感覚。

家人への愚痴にも通じるけど、組織の部下が「風邪引いたので休みます」と連絡があったら、「馬鹿野郎、今日のプレゼン誰がやるんだよっ!」と叱る事なく、「お大事に。あとはなんとかするから安心して休みなさい」と言える上司でありたい。だって、弱ってるんだもの。

思い出した

とここまで書いて、思い出した。

僕がこう思うようになったきっかけが一つあった。若い頃、ラジオやってた番組のディレクターで知野さんって人がいて、頑固で短気な人なんだけど、僕が大遅刻の連絡した時に「すいません、知野さん、俺、渋滞で遅れちゃいます。けっこう遅くなりそうです。ホントすいません」と伝えた僕に「全然、大丈夫です。問題ないので、是非お気を付けていらして下さい!」と叱ることなく、気遣って貰えたってことがあった。怒鳴られて仕方ないような局面であんなに短気な人がここまで言えるって、すげー!と。尊敬した覚えが。格好いいなぁと思った遠い記憶。

死ぬかもしれなかった人が、助かった時に
人によっては、
「ああ良かった」と思えたり、
「別に助からなくて良かったのに」と思ったりするなんていう、「違い」はないままでいたいぜ。おいらはね。

で、これをここへ書く理由

それでね。これをここに書くとさ、なんか議論したいみたいに思えるかもしれないけど、そんなことはないからね。何故なら、この事で人を論破しようと思わないし、論破したいとも思わない。人は個性的でいいし、個性的であるべきだからね。個人的には、ネガティブな反応をしない人が好きであり、自分はそうありたいと思うだけで。そして、考えるべき立場の人が考えればいいように思うし、意見を統一する必要もなくてね。

ネットでブログを書くとバズりたくてやってると(統一価値観)で括られるかもしれないけど、年寄りのブログは基本は「何かを解って欲しくて書いている」のではなく「自分の気持ちを書きながら整理する為に書いている」に他ならないので、意見交換をしたいワケではないですよ。同調も反駁もノー・サンキューですよ。

なにが理由であれ、人が助かったら嬉しいし、人が痛い目に遭ったら悲しい。
このタイミングでよくそんなハナシが出来るなぁと、呆れるけど、それもその人の個性だから、間違ってる!とも思わない。

関係ないけど、自己責任といえば、株とかの投資と、自作PCを作る時に散々見た四字熟語。強調すべきは「こっちのせいにするなよ」って事をしっかり伝えたい時に言われるイメージ。投資会社やパーツメーカー。

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作成者: 宮川賢

何しろ、インプットを多くしないとアウトプットばかりだと枯渇しちゃうし、ヤバいのでまずは読書を。そのためにソロキャンプや旅行や仕事も頑張らないとなりません。なーむー。