それだけならまだしも、
新しいパソコンが欲しいというのでi-padの新しいのをプレゼントしようとしたら、「小さいのがいい」と言ってたのは、デスクトップではなくてタブレット型の、という事なのかとおもっていたら、そうではなく「スマホ」が欲しいような雰囲気。これ、電話で確認出来るか微妙なので、意思疎通を図りにまた出向いてみます。そして無駄な買い物をしないようにします。
僕が20代の時に、まだPCは5インチフロッピィをがっちゃんこがっちゃんこと入れて読み込んでいた頃。一太郎2の頃。MS-DOS3.30cの頃。つまりwindowsもまだの頃。覚えてるよ。劇団の音楽やってくれてた福森と「複数のアプリケーションを立ち上げるなんて必要ないもんね」とな。一太郎を立ち上げると連動して花子が動かせるなんて「すげー」と思ったものです。EMSメモリとか増設してた覚えがあります。その頃、「ああ、これは瞬く間に生活に広まるなぁ」と感じた僕はオヤジにPCを買って差し上げて、使ってくれと無理強いした記憶。僕と同じでおもしろがってくれて良かったのですが、その時に「俺はこれから子供を作るかどうかは判らないけれど、いずれもし孫が出来た時に、『おじいちゃんパソコンも使えないの?』と言われないようにやっておいたらどうですか?」と言った覚えがある。
これは正解。良かった良かった。
だが、まさか母親までやることになるとは?!
お袋は、機械が苦手なので、無理かなぁと思ってたが、まさか弄るようになるとは。ビックリです。まぁそれだけ便利な世の中であり、バリアフリーなデバイスが激増したってことですよね。
だが、そうこうしているうちに実際に僕の父親が米寿ってことは、当たり前だけどもうすぐ90ですからして、元気でいたとしても衰えは加速していくでしょう。だが、人生なんてものは「目的」があった方がいいのではないだろうか?と思って「おやじ、なんだったら、とりあえず、100まで生きちゃえ!ってコンセプトにこれから十年過ごしてみるってのはどうだ?」と提案しようと思ってふと思いとどまった。これ、いいのか悪いのか。むぐぐと思う事があり。