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タイムシフト

これは良いのかな?

ラジコのタイムシフトが始まり、僕のiPhoneも無事できるようになりました。最初はおおおっと感動しておりましたが、これ、諸刃の剣だな、に改めて気づく。

生放送聞かなくなっちゃうとねぇ。でも、生で聞かなくても後で聞けるからいいやとなって、後で聞く人と後で忘れて聞かない人がいて、結局プラスマイナスゼロなのか?とも思うし。

特に録音番組は「生」じゃないのだから、あとでタイムシフトで聞いたっていいじゃないか。地方局の録音番組は東京支社に納品する日が決まってて、そこから本社に届いてそこから検聴してオンエアだから、かなり時間差があるわけです。仕方ないといえば仕方ないが。なのでそういう番組はそれから更に数日遅れたといえ鮮度は変わらないのではないかにゃ。

ポッドキャストはどうなのかな。

もう、

  • タイムシフト(一週間聞ける)
  • ポッドキャスト(いつでも聞ける)
  • ラジオ(その時しか聞こえない)

こうやって考えると、ラジオが一番不便だな。

恥ずかしい。

なんかさ、猛烈に恥ずかしいね。感覚で言うとさ、

  • ブログやネットへの書き込み(記録に残るしヘタな事書くと社会的に即死する恐怖が隣り合わせ)
  • 友達と電話で喋る(何を言おうが友達が売らない限り大丈夫)
  • ラジオ(放送が終わればそのまま消えてなくなるのでネットより脇が甘くてよさげ)

というイメージなんだけど、駄目だね。ネットと同じだよね。ラジオの生放送よりポッドキャストやオールナイトニッポンモバイルの方が「喋る事を気をつけていた」これまでから大きく変わって、ラジオだろうが何だろうが、気をつけなきゃいけなくなった感じがするね。勿論、ラジオも怖いんだけどね、もともと。

リスナーは「聞き間違う権利」もあるし、「聞き間違った上でクレームつける」権利もあるし、それに放送局は対応しなければならない。大変なお仕事だす。なんだけれども、なんとなく、必ず記録に残る(というか残す)ネットの書き込みと違い、ラジオは流れて終わる。うーん。それがこうして、いつでも聞ける!となると恥ずかしいし、他の人のを聞くのも恥ずかしいし申し訳ない気持ちもある。ズルしてる気がして申し訳ない。

例えば録音番組だとしても、その時間に放送されることを念頭において作っているだろうから、それ以外の時間で聞く事は、本来のその番組の楽しみ方から大きく外れているような気がするのね。

CDのアルバムを買って、それがコンセプトアルバムみたいなものでなかったとしても、最初から最後までを通して聞かないと作者に悪い気がするもの。同じで、ラジオはその時間に聞かないと申し訳ないような気がして。沖縄料理って沖縄で食べるのが一番美味しいもんね。

なんかさ、最初、タイムシフトで「わーい、聞き放題だぜーっ!」って浮かれていたけど、ふと我に返って(自慰終わりの受験生みたいな感じ)虚しくなって、なんていけないことをしてるんだ、俺は……と自己嫌悪なミッドナイトね。

それ、生放送でやる必要ある?
それ、その枠でしか出来ない事か?
それ、あなたの番組でやるべきこと?
その人、あなたの番組にお招きするのが一番面白いゲスト?
そのコーナー、あなたがやるから面白いコーナー?
スタッフが適当にその時思いついたコーナーをその時場当たり的に当ててやってみてなーんとなく形になったことで満足して疑わずに時間を浪費する。そんな事にはならなければいいなぁと思ってたけど、タイムシフトはいよいよますます「どーせ今聞いてる人なんか少ないんだからさ」みたいな作りになってったらよくないっすね。

ラジオって無理矢理延命させられてる植物人間のようなものなのですか?
と日記に書く人がいそうなミッドナイトね。

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作成者: 宮川賢

何しろ、インプットを多くしないとアウトプットばかりだと枯渇しちゃうし、ヤバいのでまずは読書を。そのためにソロキャンプや旅行や仕事も頑張らないとなりません。なーむー。